MENU

プリパラの終焉

世代交代

 
それはテレビアニメに限らず、避けては通れぬ道。
 
 ・・・つらい。
桜前線はとっくに過ぎた筈なのに、僕の心は冬至のままだ。
 
 
 いやマジ無理無理!!!!言葉が出てこないわ、ほんと無理!!!!勘弁して、これ以上俺を虐げないで!!!マジで。マジで!!!
 
 
 今日、午後ローでナイトミュージアム2、観たんですよ。
で、エンディングでアース・ウィンド&ファイアーの「Let´Groove」流れるんですよ。マジ痺れる。
やっぱ最強のふたりでも流れたけど、アースはサイコーだよな~~~~~みんなも聴こうぜ!アース・ウィンド&ファイアー!Boogie Wonderland流してね。踊ろう!!
 
煙草なんか吸わなくても、アース聴いとけばハイになれっから!マジで!
 
Foooooooooooooooo!!!

転生したら津田美波の息子だった件

 「これゾン」の再放送のせいで三時半に床に着いた俺は、マスをかいてもかいても眠りに落ちることができないでいた。

 いくらCOMIC LOやコスプレエロ動画でかいても、「ゾーン」を過ぎれば熱さを忘れる。
催眠音声を視聴してみても、賢者の耳に念仏。ただのノイズにすぎない。


 このままではccさくらおろかプリキュアにすらありつけない。まずい、どうにかしなくては・・・

 ふとTwitterのいいね欄を眺めていると、そこには「ママ」
そう、津田美波の自撮り写真である。

 俺はためらった。
本当の親子ならば、母でマスをかくなどありえない。
しかし、早急に眠りにつかなければならない。ccさくら諸々もそうだが、日曜日はアルバイトが入っている。

時刻は五時を回ろうとしていた。

 
 いかん・・・それだけは・・・
悩んだ末、再びいいね欄を眺めることにした。


・・・ん?
脳裏に電流が走り、一人「マジカルバナナ」が始まった。
久保田未夢→そふぃ→プリパラ→鉄板同人→レオナがシオンを犯す本

くぅーーーーーー
脳内では博多華丸のカビラが唸る。

完璧に方程式を解いた俺は、本棚に走る。
待ってろさくら、今行くからな---------



 俺、転生したら津田美波の息子で、姉が久保田未夢なんだ----

蟻地獄

 池袋で「ちゃんとした」イタリアンを堪能した私は、本屋へ向かった。それは久々の御馳走にありつけて、ご機嫌な最中の出来事だった。

 正直特に欲しい本はなく、かといって手ぶらで帰るのも癪なので、小さいコーナーが作られていた中の一冊を手に取った。

タイトルは、『蟻地獄』

どうやら著者がインパルスの板倉さんのようで、新刊「月の炎」と「蟻地獄」文庫版の出版を記念して、コーナーが作られていたようだ。

 俗に言う「タレント本」のような紹介を受けていたが、時間がなかった私は、会計へと急いだ。

POPの「インパルス板倉推し」については、ふ~ん程度のものだった。


 私は本を読むスピードがとにかく遅い。いや、正確には飽きやすい。

どんな本でも読了するまでに最低一ヶ月はかかってしまう。しかし、この「蟻地獄」は、三日で読了した。


 まず第一に考えたのが、コント師なだけあって読者の心を「つかむ」のが上手いと思った。いわば導入部分だ。

伏線のカードは全て予想しやすく、かといって思いがけない絶妙なタイミングで顔を覗かせる。手が届きそうで届かない推理小説ほど、読者の心を掴むものはないだろう。


 第二に、全く飽きさせない。

物語の軸となるのが
「捕らわれた友人を助ける為、五日後までに三百万を手に入れる」
ことなのだが、何度も場面が変わっていく。

 迫るタイムリミットの中、無駄足を食うことさえもラストへ繋がっていたり、そもそも場面の一つ一つがわかりやすい。
頭の中で映像が自然と浮かび上がってくるそれはまさに、コント職人たる所以である。


 芥川賞を取ったピースの又吉さんしかり、芸人という職業は小説家に向いているかもしれない。何故なら、客の心をつかむ仕事だからだ。

 ミステリー初心者の私でも当てられるカードが数枚あり、かといって軸となる「オチ」のカードは最後まで伏せたまま。予想は見事に外れるが、最後の「締め」ではまた簡単なカードが開けられると共に、ふふっと笑みがこぼれた。

 こんなに短時間で読み切った長編小説は、初めてかもしれない。
目の前に人参を吊るされた馬のように、夢中で読み進めた。
吊るしたのはもちろん著者の板倉さんであり、気が付けば私はまんまと「蟻地獄」に落とされていた。

 新刊の「月の炎」は、睡眠や予定を削ってまで読書を優先してしまう恐れがある為、まとまった時間ができた時に手に取りたいと思う。文庫版が出る頃にしようかな。

 こんな偶然もあるんだな、と学んだ今日この頃でした。

アマゾンリンク(アフィはつけ方がわからない)



笑顔の意味

「お前たちは知っているのか?ナナリーの笑顔の意味を」
「ナナリーは目も見えず、歩くこともできなかった」
「ナナリーは・・・ナナリーの笑顔は・・・せめてもの感謝の気持ちなんだ!」


 飲食バイト戦士の俺だが、最近職場に障碍者雇用枠で雇われた人がやってきた。


 彼女は決まった単語しか話すことができず、会話も少しオウム返しになったりする。
机に置いてあったクリアファイルには、ドラえもんや忍者ハットリくんのシールが貼ってあり、脳が成長できていないのかもしれない。

 
 彼女の仕事は洗い場のみ。
シフトに関しては普段の+1なので問題ないのだが、はっきり言って邪魔である。


 彼女は非常に声が高く、声優の金田朋子のようなノイズ声。
それに加えて、彼女は声のボリュームのコントロールが苦手なのである。


 それでも、僕を含めた職場の性格が腐りに腐ったおばちゃん連中も彼女のことは嫌いにはなれないのだ。


 彼女は仕事が苦手で、当然周りが手助けをしなくてはいけない。

人間はなにかと理由をつけたがる生き物で、僕が彼女を助けるのはたとえ仕事上の理由であっても、脳が勝手に


彼女を助ける = 彼女のことが好きだから

と理解しているのだ。
それが例え男であっても、同じくlikeと考えるのに変わりはない筈だ。



そう、人はなにかを「する」時に好きになるのだ。
持ちつ持たれつの関係というものは理にかなっているし、乙武さんがモテモテなのも頷ける。


 そして彼女は、常に笑顔なのだ。

いつも口が半開きなのは、嚙み合わせが悪いせいかもしれないが、歯を出して笑っている。



 いや、ごめんやっぱ無理。マジで。

本人も障害を持って生まれてきたかった訳ではないだろうし、誰も悪くはないと思うよ。
企業も雇わないといけない理由があるし、店舗のシフトに入るのも仕方ないと思う。


でも金田朋子が六時間横に居るのは流石にキツくね?


神アイドルと化した俺


 2018年3月9日 13時40分
俺は神アイドルになった。

夢に見ていた称号だが、喜びと共にとてつもない虚無感が襲い掛かる



 「双生の陰陽師」からirisを知り、前々からプリパラは気になってはいたのだが、踏ん切りがつかずにいた。


そんな中始まったのが、「アイドルタイムプリパラ
北条そふぃ登場回で虜にされた僕は、気が付けば一ヶ月たらずで「プリパラ」全話を完走した。


dtvの無料期間中に終えなければいけなかった背景もあるのだが、それにしてもここまでアニメにのめり込んだのはギアス以来である。


 特に好きな話がガァルルがそふぃとの接触で言葉を話せるようになるエピソードだ。
他にもそふぃがソラミスマイルに加入する話やファルルを助ける話があるが、共通するのは優しさだ。

彼女らの無垢な優しさはとても美しく、そふぃらが人間として成長していく過程に僕は胸を打たれた。

  
 一時期ガァルル推しになった時期がある。 

第104話 プリパラの終盤で、「スーパーサイリウムコーデ(レアアイテム)」を上位アイドルが獲得していく中、ついにガァルマゲドンにもその時がやってきた。


が、「サイリウムコーデ」を手に入れたのは同じグループのあろまとみかんのガァルルを除いた二人だけだった。
当然あろまとみかんがガァルルを気遣うのだが、ガァルルは言う。

「問題ないガァル!ガァルルもすぐ追いつく!スーパーサイリウムコーデ手に入れる!
今日がダメなら明日、明日がダメなら明後日、どこまでいっても明日ガァル!」


 素晴らしい人間性に惹かれた僕だったが、同時に昔受け取った塾の職員からのメッセージを思い出す。

「人は、人と関わっていくことでしか成長できないので、これからもたくさんの人に囲まれて酸いも甘いも色々な経験をして素敵な男性になってね。」

 彼女の言葉は的を得ている。
プリパラの少女達は神アイドルを目指し時には衝突しながらも、「友達」と一緒に切磋琢磨し、成長している。


 俺はどうだ?成長できているだろうか?
たくさんの人に囲まれているか?
神アイドルの称号を獲得したことで得たものはなんだ?


・・・
目標を失った俺の手に残ったのは、言葉に表せない孤独と虚しさだった。



 初めてプリパラの筐体に座ったのは2017年11月23日
元々プレイする気はなかったのだが、映画までの時間潰しで渋谷の隅にあるゲームセンターへ向かった。

当然選んだキャラクターはガァルル
その日は20プレイしたのを覚えている。


 今年の四月にプリパラが終了し、「プリチャン」に移行することが発表された時、僕は焦った。

 元々ゲームの称号はある程度のものは取る癖があったので、四月までに神アイドルにならなければ、と一種の強迫観念に狩られた。

 僕は超効率厨になった。
トモチケは、ボーナスが一番乗る二枚をずっと使い続けた。
コーデも性能重視だ。
思えば、少しつまらなくなったのはここからだ。

純粋に「プリパラ」を楽しむ気持ちを忘れてしまったのだ。


 プリパラはいわゆる「おばさま層」の割合が高い。
時間帯によるかもしれないが、横に座るのは大抵おばさまだ。
一人ではなく、二人、三人だったりもする。

 正直めちゃくちゃ痛いしキモいと思うが、少し羨ましいと思う自分が居る。

僕はプリパラを一緒にプレイする友達が居ないから、当然のことだ。
流石にリアルの友人を誘うのはあり得ないし、かといってネットにそういった繋がりを持っている訳でもない。

 そんなおばさま方も大抵はネットからの関係なんだろうが、正直そこまでして得たいものでもない。ささやかで本当に小さなものだからだ。


それでも、そんな微々たるものでも、正直羨ましい。


 プリパラにはペアモードという二人プレイがある。

一人でやってみたが、左右非対称の動きなので判定が酷いものだった。

そして、忘れてはならない。
プリパラには「トモチケ」がある。

トモチケはゲームの終わりに一枚排出されるフィルムについているもので、他者と交換してライブ前にスキャンするとそのアバターが登場する。
ステータスも上がるのだ。

大きいゲームセンターや家電量販店だと、トモチケ交換所というものがある。
僕への救済措置である。むしろ交換所でしかトモチケパキッたことない。
ありがたいことなのだが、やはり寂しさはつきものだ。



 プリパラを初めて間もない頃、システムがよくわからなかった僕が、隣に座っていた小学3年生くらいの女の子に話しかけたことがあった。


彼女はアイテムをたくさんもっていて、「ジュエル」というアイテムを「貸しましょうか?」と声をかけてくれたのだが、恥ずかしくなってしまった僕は

「それを買えばいいんだね、ありがとう」
 
 と拒んでしまった。

彼女の純粋な優しさに素直に甘えることができなかった僕は、酷く後悔した。
トモチケも、僕から話かければ交換してくれたに違いない。


 その時、時刻はもう21時を回っていた。
夜遅くに小さな女の子がゲームコーナーの一角に座っているのを僕は内心凄く心配していたのだが、彼女は2回程プレイした後、母親と元へと去っていった。


 プリパラをやっていると、闇を感じることがある。

当然僕もその一人なのだろうが、スーツを着てポケモンガオーレ、ムシキングに連コする会社員、夜遅くに小学生だけでDBし続ける少年、メンヘラオタサーの姫と激臭がする男のカップル、ゲームコーナーに佇む親子

深淵をうんたらはまさにこのことだな、と感じる。僕も同族なのかもしれない。


 別に悪いことではないのだが、後ろめたさのようなものを感じているのは決して僕だけではない筈だ。

それでも、心の居場所がないよりはずっとマシである。



 「プリチャン」が始まってからは、僕はもう二度とゲームセンターに足を運ぶことはないかもしれない。
足を洗ういい機会だ。



それでも、なんだかんだプリパラは楽しかった。


俺もそふぃ様みたいに、ガァルルみたいに、なりたいな・・・

懐かしき日々 戻れぬことを悲しく思う

 僕は暇つぶしに2ちゃん(5ch)を眺めるのがすきなのだが、定期的に立つスレがいくつかある。
よく映画についてのスレッドでは書き込んだりもするのだが、今日は昔のアニメはよかったスレを眺めていた。



 2ちゃんねるでは、ゴールデンタイムと深夜帯(大体2時~)
では同じスレでも内容が違うように感じる。


 例えばよく見る映画スレの場合、ゴールデンタイムでは邦画やマーベル等、比較的有名な映画について語られることが多い。
それは当然、時間帯の問題であろう。社会人はニートに比べて圧倒的に自由時間がないので、当たり前のことである。


しかし、深夜帯は違う。
映画は僕より詳しい人が何人も集まるし、名画座等マイナーな映画館の情報も知ることができる。


 深夜帯にはまだまだ魅力がある。
それは、皆優しくなることだ。

   
ゴールデンタイムはレスバトルが繰り広げられていたりするし、引きこもりスレが立てば荒らしの餌場となるだろう。



 しかし深夜ならば、互いが傷をなめ合い、争いが起きることはまずない。それに、趣味の話を深く語り合うことができる。

 僕自身もそうだが、人間自分のことを底辺だと自覚すると人を攻撃することはなくなる。



 今日は珍しく、ゴールデンタイムにもかかわらずクソアニメが語られていた。しかもスレがいくつも続いていたので、たたなくなるまで眺めていた。


 最近は、めっきりアニメを観なくなった。
全く観なくなった訳ではないが、毎週欠かさずに視聴を継続しているのはプリパラとプリキュアのみだ。


 俺がどんなクソアニメでも全て視聴していた頃は、全てが輝いていた。

月刊ニュータイプなんかその頃しか買ったことないし、録画やネットではなく全てリアルタイムで視聴していた。

別にクソアニメも観たくて観ていた訳ではなく、あくまで番組表上の「繋ぎ」として視聴していた。
新クールのアニメも一話は全てチェックしていた。


 輝いていたのはアニメだけではない。
ラジオも映画もニコ生も、ネトゲに深夜バラエティも、そのなにもかもが輝いていた。

今内容だけ考えればそうでもなかったりするが、やはりあの時の特別なフィルターはもうない。

男子校だったのでオタクも少なくないし、ヨスガノソラの玄関ネタで笑い合っていた。

 そんなあの時は良かったと、2ちゃんで語り合うのも悪くない。
が、いくら思い出に浸った所で輝かしい毎日が戻ってくることはない。
タイムマシーンで戻ったとしても、それはただの観光にすぎないだろう。


 またいつか、毎日アニメ漬けの日々を送りたい。


 小学生の時の俺は、中高一貫に入れば楽な人生を歩めると信じて、中学受験に臨んだ。

だが、蓋を開けてみれば真逆だった。
合格はゴールではなくスタートにすぎず、土曜も半日学校があった。裏切られた僕だが、それでも、フィルターのおかげで毎日が輝いていた。


 それが今はどうだろう?
フィルターの夢からはとっくに覚めていて、仕事はできる奴に頼めというように、苦労してもまた苦労を背負わなければいけない。

 ゴールに辿り着くその日まで、這いつくばって生きていこう・・・

f:id:Nikuman12:20180928104055j:plain

映画感想文#1 パーティーで女の子に話しかけるには

 映画感想文では、僕が観た映画の感想を書いていきます。

 
タイトルがダサいので近日中に変えるつもりです。要はただのオナニーブログ
 
 
 さて、映画感想文第一回目の映画は、
 
「パーティーで女の子に話しかけるには」
 
僕は恋愛映画が苦手だ。
だがどうしても映画の気分だったので、妥協して本作を鑑賞した。第一の感想は ええやん

  
 
 本作では公式のキャッチコピーの通り地球人の男の子が宇宙人と恋をするというものなのだが、正直宇宙人なのは事前にバラさない方がいいと思った。
 
序盤でバレはするのだが、前情報なしで観た方が絶対に面白いので、予告映像は事前に視聴しないことを薦める。
 
 
 
主人公の青年エンは、パンクオタクの童貞。
陰キャの僕に通ずるものがあるが、エンには二人の友人がいる。
 
三人の共通の趣味であるパンクの為にライブハウスに向かうことになり、ライブシーンへ
 
 
 
ライブはまさにパンクで、この作品の見どころ①
思わずノッてしまう唸るライブシーンと、後半のシリアスなギャップを103分に収めたのが凄い。
 
 
 宇宙人モノや異世界モノはマイナー映画だと2がある想定で作って予算不足で1のみ完成、わけわからず終わりみたいなパターンもあるが、本作では綺麗にまとまっている。
 
 
そして何より上手いと思ったのが、エンが恋する宇宙人ザンが
「私、実は宇宙人なの」
という恋愛映画にありがちな恋した女の子が実は~でしたパターンではないのだ。
 
 
 
 エン達三人はライブの打ち上げに参加しようとするが、会場を教えてもらえなかった。
それでも打ち上げに参加したいエン達がロンドンを彷徨っている所、何やら奇妙な音楽が聴こえてくるではないか。
 
当然会場に押し入るのだが、出てきたのは見知らぬ奇妙な恰好をした少女ステラ。
エンの仲間の一人の金髪(名前忘れた)がステラを褒め倒しパーティーに参加することに。
 
 
 実はこのパーティーの参加者は全員宇宙人で、ここでエンとザンは出会う。
とても奇妙なパーティーなので、語らずとも三人は何かおかしいとここで悟る。
 
 
 
ザンが自ら告白するのではなく、エンらが侵入するのだ。
 
 
 
ザンに一目惚れしたエン。
話を聞くとザンは地球に観光しに来たのだが、地球人との接触はご法度で、他にも厳しい規則があるそうな。
そして、48時間後には地球を離れるそう。
 
 
ザンの所属するコロニーのスローガンである個人の尊重と規則の矛盾に疑問を抱いたエルはエンを通して地球を知るため一緒にパーティーを抜け出すことに。
 
 
48時間の春がエンに訪れる。
エンはザンとパンクのライブに立ったり青春を謳歌するのだが、やはり時間には逆らえない二人。
 
 
 
ネタバレになるので色々な所を省くが、ザンは地球に残るか、残らないかの二択を迫られることになる。
ザンは一度地球を離れたら、もう二度と帰ってくることはできない。
ここが見どころ②
 
 
 地球にやってきた宇宙人御一行はほぼ地球人なので、宇宙人の揉め事が地球人への皮肉になっている。
 
パンクライブシーンでもそうだが、ただのお気楽恋愛映画ではなくメッセージ性が強い。
 
 
 
 ラストではハッピーエンドになるはなるのだが、予想していない形だったので驚いたのと同時に一安心。
 
 
 
 僕が恋愛モノがあまり好きではない理由の一つが、必ず敗者が存在することだ。
 
だからといって二股かけて欲しい訳では当然なく、単純に誰かが誰かのせいで傷つくのを僕は観ていられない。
 
 
 この映画ではザンを誰かと取り合う訳ではなく、エンと出会うことで成長したザンが大人に立ち向かう青春モノなのだ。
 
 
 正直予告映像は数か月前に視聴済みであまり期待はしていなかったのだが、僕の観てきた恋愛映画の中では群を抜いていた。
 
 
やはり映画はタイトルやポスター、予告映像だけではわからないので、今後は映画をあまり選り好みせずにふらっと立ち寄る孤独のグルメスタイルもアリかな、と思った一日でした。
 
 
 
 今後も公開中の映画の感想を書いていこうと思います。多分。