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ステイサムが素手でサメと戦うのが面白すぎた「MEG ザ・モンスター」

MEG ザ・モンスター

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 正直僕は予告編を観た限り、「ジオストーム」のような映画だと思っていましたが、概ねその通りでした。しかし、違うのはネットでの評価。

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  ジオストームが3.7に対し、MEGは3.1。MEGの低評価レビューをざっと確認した限り、「中国が舞台、中国推しが気に食わない」といった内容がちらほら。

 確かにステイサムが元カノを差し置いて、現地のクルーと恋に落ちるのには多少違和感を感じましたが、よくあるパニック映画での恋愛と同じくスパイス程度でしかないので、個人的にはあまり気になりませんでした。

 

 あらすじとしては、5年前にメガロドンと遭遇し、二人のクルーを見殺しにして脱出した過去を持つステイサムが、再び現れたメガロドンを退治する話。

 冒頭では、ステイサムはレスキュー隊員で、復活したメガロドンに襲われた潜水艦を救いに向かいますが、閉じ込められたクルーの中になんと日本人が!

中国資本なので、パニック映画あるあるの「アジア人・黒人は真っ先に死ぬ」は当てはまらないもしれぬと期待しましたが、やはり英雄になってしまいましたね。世界は残酷だ・・・

 

 正直、サメ映画としては今作はとても真面目です。復活した「メガロドン」は、空を舞いませんし、機械と合体もしません。ただただ巨大な生ける化石として、クルーやビーチの観光客を襲います。

 真面目なサメ映画なんて退屈でしかないだろ!と考えるサメ映画ファンは大勢いると思いますが、この映画テンポが非常に良いです。近年のパニック映画と比べても、遥かにテンポが良い。 

 過去のトラウマ→繰り返される惨劇→自己中な投資家のフリとオチ→無能な現地人クルー→それを嫌な顔一つせずに助ける漢ステイサム→一般人まで巻き込む大事件に→ステイサムのサメ狩りがスタート

と、本当にテンポが良いです。

 

 もちろん、笑い所もあります。ビートたけしアウトレイジのような本人はマジメだけど、傍から観ると笑い所でしかないみたいな。

 僕のお気に入りシーンは、無能な現地の女クルーを救出する為に、ステイサムが酸素ボンベ一つで海に飛び込むシーンですね。流石に無茶すぎるだろ、と。劇場でも所々笑いが起きていましたね。特に左列に座っていた大学生集団。

 

 そして本作は「フリ」と「オチ」が丁寧な点がポイント高いですね。メガロドンを倒し、死骸に顔を突っ込み記念撮影を試みるクルー。

「いや絶対こいつ生きてるパターンですやん」

と思いきや・・・そうではなかった。

 来るぞ来るぞと身構えている僕をじらし、斜め上からオチをつけるメガロドン。なんともないシーンでも冷や冷やさせられましたが、これこそがパニック映画の醍醐味だよな~なんて思いました。

 

 それでもやっぱり、海洋学者の娘でイキるくせに無能な現地女クルーは少しうざったかったですね。ステイサムもよくもまぁ何度も助けるよ、うん。

そこから恋仲になる展開は少々強引すぎる気もしましたが、作品全体としてのテンポが良いのでギリギリ許容範囲ですね。

 

 そんな訳で、心内評価3.8/5です。

テンポが非常に良い、ステイサムの馬鹿マジメなギャグ要素、フリとオチが丁寧なのがアド。強引なヒロイン推しはディスアド。

 ヒットしているので、大きな期待を抱き劇場へ足を運ぶ人がネットでちらほら見られましたが、あまり期待しない方がオトクだと思います。本当に「ジオストーム」を観にいく位の気持ちで鑑賞しましょう。

 

成長とは

 今日も、良い意味で言動や行動が同年代と比べて少し大人びている、と褒められた。正直生きていて褒めれられることはそうそうない分悪い気は全くしないのだが、違和感を抱くのは毎度のことである。

 僕は本当に子どもだとつくづく思う。まるで自分の人生を他人事のように舵を切っていて、責任を負うのが大嫌い。都合が悪くなったり決断のリミットが迫れば現実逃避を繰り返す。子どもどころか、まるで赤ちゃんだ。

 他人にはさも自分の事柄かのようにアドバイスをしたり寄り添って思考する、出来る癖に、自分のこととなるとテンで駄目だ。
親には数えきれない程無責任だと言われてきたが、自分でも本当に無責任な人間だと思う。

 そんなことを考えていると、夏の終わりも相まってナーバスになってしまった。そんな僕が現実逃避する場所は、決まって映画館。
 つい昨日宿題に全く手をつけていない弟と遊園地で遊んだばかりなのに、どうしても夏を終わらせたくない僕。最後の抵抗だ。

 鑑賞した作品は、「ブリグズビー・ベア
25歳の主人公が、実の親ではなく誘拐犯に25年間もの間育てられていた、と知る。
 肉親の元に戻るものの、幽閉されていた彼の唯一の情報源「ブリグズビー・ベア」という教育番組のことをどうしても忘れることが出来ず、うまく家族と馴染めずにいる彼だった。
そんな中、妹とパーティーに参加したことをきっかけに、友人をつくり、やりたいことを見つけ成長していく・・・といったストーリー。
 
 この映画の内容を要約すると、25年間引きこもってたけど、外の世界に出て友達作ればなんとかなるぜ!ってこと。そんな内容とメッセージは陰キャオタクの僕にはあまりにも眩しく、日を浴びたドラキュラのように僕は灰と化した。

 夜の生暖かい渋谷の街を歩いていると、昔塾の先生が退職時にくれたメッセージカードのことをふと思い出した。
 「人は、人と関わっていくことでしか成長できないので、これからもたくさんの人に囲まれて酸いも甘いも色々な経験をして素敵な男性になってね。」
 この一文は定期的にフラッシュバックするのだが、映画の内容とマッチして考えざるを得なくなった。
 
 毎度のことなので、手順は大体決まっている。まずは、
「あの時と比べて成長できているだろうか?」
と考える。答えは半分YES。

 バイトやらで長いものに巻かれるようになったのは、良くも悪くも成長した証なのでは、と考えるからYES+1
 でもただのコミュ障な部分があるのでYes-0.5
 「たくさんの人に囲まれて酸いも甘いも色々な経験をして」後半は色んな意味でYes+1
 「たくさんの人に囲まれて」は満たしていないのでYes-1

 よって、答えは半分YES。

 それにしても本当に的を射た人生の先輩からのメッセージだな、とつくづく思う。
「人は、人と関わっていくことでしか成長できない
これは本当にその通りで、僕自身の課題だな、と思う。

 今日鑑賞した映画の主人公も、友人や周囲の環境を通して成長していき、自分の道を切り開いていた。一人なら、絶対に到達することができない道を。

 僕にも、そんな人生のパートナーが居ればな、と帰りの電車内で考えていた。別に彼女とかじゃなくて、互いに心を許し合える友人・・・いや、僕にも一人だけ居た。それは弟。

 彼女や友人をも凌ぐ究極の関係、弟。彼も僕と同じくメンヘラ傾向があるらしいが、僕がいると気持ちが和らぐそうだ。こんなダメ兄貴でも、心は通じ合っているようだ。

 弟となら、なんだって出来る気がするな・・・そんな暖かな妄想を抱きながら、今日も眠りにつくのだ。

泣き虫な僕

 僕は昔から泣き虫だったなぁ
今日バイト中にふと頭をよぎった。退屈な作業の最中には、そんなどうでも良いことでも暇つぶしになるものだ。

 小学生や中学生の時、先生に怒られると僕は泣いてしまうタイプだった。友人と教室で立たされる中、どれだけ涙腺を踏ん張ってもお漏らししてしまう僕。友人よりも怒られるのには慣れている筈なのに、彼らは指遊びに没頭していた。

 福本作品で一番好きな作品「最強伝説黒沢」の新版一巻では、幼児退行してしまった主人公の黒沢に病院の看護長が
「思考回路は幼児そのものね」と言うシーンがある。
自分の都合が悪くなると、気絶して現実逃避する黒沢。僕にとても似ていると思った。

 赤ん坊は、親にかまってもらう為に泣きじゃくるから、僕もかまって欲しくてたまらないから未だに泣き虫なのか?と考えたが、これはおおむね正解だった。僕の幼少期にヒントがあるようだ。

 僕が今覚えている限りの幼少期の記憶の多くは、両親が喧嘩している描写だ。いつもリビングのガラスのテーブルを挟んで言い合いをしていて、それを止めようと泣きじゃくる僕。僕にかまってくれれば、喧嘩は止むと考えての行動だったが、それで喧嘩が止んだことは一度たりともなかった。
 
 小学三年生の頃だろうか。その日は初めて殴り合いの喧嘩を目にした。少なくとも、僕が記憶している範疇では。
父が会社のTOEICテスト対策で、わざわざ僕のDSで英語ソフトをやりたいそう。当然父とろくに会話ができない、したことがない僕は頷くことしかできなかった。
そのDSは母方の祖父が購入してくれたものなので、母はそれに激怒。父はいつも邪魔をするし、子供のような嫌がらせを繰り返すことは、家では常識だ。

「あいつは良いって言ったけど」
「だからって子供から取り上げるのはおかしいでしょう?あなたは大人なんだから」
「邪魔なんだから出て行けよ」
「返して!DS返しなさいよ!」

僕は階段の下で、
「もう良いから!貸すから!もう止めて!もう良いから・・・」
と叫ぶが、どうやら聞こえていないようだった。その後母は泣きながら警察行くだの出て行くだの言っていて、父はああどうぞ勝手にしろ、出ていくなら出てけ、とお互い一歩も引かなかった。この時も、僕はいくら泣いてもかまってもらえなかった。
今思えば、僕の流した涙はナナリーと同じモノだったのではないか?違う?

 一度、父と母に
「アンタらなんか大っ嫌いだ」
と嘆いたことがあった。すると彼らは
「こんなに優しい親いないよ?」
と口を揃え、父と母が争っていたはずなのに、僕が標的になってしまった。 

結局、母も父に傷つけられることで自分を保っていたのではないか?そうではないにしても、そう考えることもできてしまうからDVのスパイラルはヤバイと感じる。そら、なかなか抜け出せない訳ですわ。僕が将来結婚をするならば、顔や金ではなく、人格の相性で決めようと誓ったあの日が懐かしい。

 僕はただ、喧嘩を止めて欲しかっただけだったんだ。そんな泣き虫のルーツを知った僕は、バイト中にも関わらずまた泣いてしまいそうになったが、流石にもう我慢できる。普段は全く意識しないけれど、記憶の底にしっかりと沈んでいることが悲しい。

 僕を注意する上司をその場で店長が叱り、気まずくなって退散した僕を上司が苦笑いを浮かべながら叱り、ああ、もうみんな死ねばいいのにと思った今日でした。もうこんなバイト辞めてしまいたい。

掃き溜め

 NNNドキュメントで「吉藤オリィ」氏が特集されていた。彼は元ひきこもりだったが、高校時のロボット大会での優勝をきっかけに学校に通い始め、現在は孤独を解消するための研究をしているそうな。リンク

 正直嫉妬した。彼はVTRを観る限りとてつもない人格者で、輝かしい功績もあり、社会にとって大いに貢献している。
「元」ひきこもりや不登校でメディアに取り上げられている人物は大抵何か第三者から認められているものがあって、しかもコンクール等の正式な賞を受賞していたりもする。

 それに比べて僕には特に第三者から認められているものや功績は特になにもない。
小説や脚本の進行は未だ0%で、ただ映画鑑賞とハースストーンで現実逃避を繰り返すだけの日々。頭ではアイデアがいくつも描けていても、体が動いてこない。
別に努力をしたくない訳ではなく、努力したくても一向に体が追いついてこないのだ。

いわゆる「成功者」は、行動を起こして、それから生じるトライ&エラーによって一歩ずつ前進して行く。
僕はその一歩すら踏み出せず、やりたくもないアルバイトに精を出している。
今回は、そんな自己否定に走った僕の掃き溜めのブログ。

 「学校に行かないから、勉強もできないし、運動もできないし、友だちもいなくなる。すると「自分はダメなやつだ」と自己否定が始まってしまう。それがつらかったというのが強くあって。」
この一文から、オリィ氏がガチの元ひきこもりであったことがわかる。今の僕自身が、そうだから。
「俺は現在進行形だから・・・」という言い訳で逃げられなくもないが、脱出方法はみつからない。

 僕は人生を生きているだけで100点スタートの加点方式だと考えているが、それでも自分より高い点数の人はいるわけで。スタート地点がマイナスでも、自分より点数が高く這い上がっている人も大勢いるわけで。そして自己否定に入ってこの繰り返し・・・たまには嫉妬もするよね。行動力とかに。
僕はのけ者かもしれないが、他人となんら変わらず人から認められたいとも思うし、嫉妬だってすると気がつかされたNNNドキュメントだった。

 個性を尊重することが最近の流行りだと感じるが、そもそも個性とはなにか?
SNSはただのいいね稼ぎのゲームに過ぎず、個が認められた気になることができるだけで、そもそも個性なんてものは誰にもないのでは?と。
少しばかり考え方や感じ方が違っているだけで、本質的にはなんら変わらない。その筈なのに、僕には同じように一歩を踏み出すことが出来ない。これも、皆同じだったりするのかな?

 そんな自己否定に陥りがちな僕の原因を発見した。それは、自己否定に陥る時は決まって実家に居ることだ。
本当に帰宅した瞬間に気持ちが落ち込むこの実家は、どうやら井戸があったかもしれない?土地らしい。母曰く数人の人に見てもらったが、マジで離れた方がいいそう。オカルトはあまり信じない方だが、気分が落ち込むことは確かだ。
・・・割りの良いバイト探すか、就職でもしてまず実家を出ることが、今の僕がすべき一番初めのことなのかな、と考えた今日この頃。路上で寝た方が寝心地が良いレベルに埃が積もっているので、片道切符で海外に行くのも楽しそう。のたれ死んだら、その時はその時で。

 僕は電子の海にただよう海月。ただ波にさらわれ、漂うだけの毎日・・・跡形もなく、海に溺れて消えてしまいたい。
数か月前に興味を持った海月の飼育を、貯金をまた10万貯めたら始めようと思い立った今日でした。

エロ同人誌と映画から学ぶ「罪悪感」

 今回は夏コミケで購入した天才LO作家猫男爵先生の新刊「雨音を数えるように」と、最近視聴した映画「グラントリノ」の共通テーマが「罪悪感」についてだったので、ここで考察する。

 猫男爵先生の新刊では、艦隊時雨(実は艦これ知らない)が提督と結婚するが、時雨は亡くした艦隊の仲間のことがいつも心残りで、自分だけ幸せになってもいいものかと葛藤する心情が描かれている。
あとがきによると、この物語の元々の着想は「夕凪の街 桜の国」という漫画らしい。

その漫画はどうやら今までの「ヒロシマ」「原爆」物語で語られてきた主人公の根底にある「怒り」はなく、「生き残った罪悪感」しかないそうだ。

 映画「グラントリノ」では、主人公のウォルトの過去に朝鮮戦争で誰に命令された訳でもないのに、降伏したも同然の兵士を何人も自分の手で殺した罪悪感との葛藤が描かれている。

 この時期になるとテレビで流れるジャンボ機123号の特集や新刊、そして特に意識して視聴した訳ではないグラントリノと、何故か罪悪感について考えさせられるテーマが目に留まる。
ここで問題なのは、罪悪感は「生きる気力を奪う」、ということ。
「怒り」のマイナスエネルギーの矛先には基本的に相手がいるので生きる力になるが、「罪悪感」では償う相手もいない
ので、自分自身の気力を蝕んでいく。

 僕は陰キャなので怒りの矛先を相手に向ける勇気がなから、怒り→自己嫌悪→罪悪感に走りやすい。
ただ、命を奪う・奪われる罪悪感と僕の中での罪悪感ではスケールが違いすぎるし味わったこともないので、今の僕にはまだよくわからない。

 自分なりに「罪悪感」について深く考えようと試みたが、そもそも僕は嫌な出来事はすぐに忘れるタイプなので、正直引き出しから何も見つからなかった。強いて言うならば、僕が以前バイトをバックレた時だろうか。(俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話)
ただ、罪悪感は常に心の根底に居座り続け、それが強ければ強い程忘れたくとも忘れられないという部分は、少しだけ理解できたような気がした。ふとした瞬間にフラッシュバックするというか。

 しかし僕がうつ傾向というか、月に一度バミューダトライアングルに心が飲み込まれてしまうのは確かで、しかも特にこれといった原因が自分の中で見いだせないので、マジでうつ病なのでは?と考える今日この頃。今にも溶けてしまそうな猛暑の中、皆さんはいかがお過ごしですか?

 結局何を伝えたかったかというと、猫男爵先生の新刊「雨音を数えるように」が素晴らしいってことと、俳優人生最後の出演作「グラントリノ」のイーストウッドの演技が神がかっていたということです。僕からの暑中見舞いでした。

永い言い訳

 前々回のブログで僕は「人生は妥協の連続だ」と書き綴ったが、それは単なる自分への言い訳でしかないことが今日判明した。裏を返せば、今の今までそう信じ続けていたことになる。

 何故そう考え方が変化したか。それは、「頑張っている人」を応援する人が大勢いることにヒントを得たからだ。

もちろん誰しも自分なりに頑張っているが、ここでは世間で「頑張っている人」として一目置かれている人のことを指す。

 僕もその内の一人だが、するべきこと・やりたいことをいくつも頭に描いているのに、行動に移すことができない。最初の一歩が踏み出せない。

 僕の場合だと、小学三年生の夏休みがいい例だ。
近所に小さな河川があるのだが、凹字型にブロックが積まれており、その間を流れる川を尻目に向こう岸まで跳ぶという遊びをしていた。ブロックと川の高低差は、ざっと7,80cmといったところか。
向こう岸までは1メートルと数センチ程の距離があり、僕はというと一度も跳んだことがない。川に落ちることすらなかった。

ただ跳べないだけなら痛くも痒くもないが、鬼ごっこになると川を飛び越えられないと話にならない。そんな僕は、橋の方まで走り続けていた。
 
 何故僕は川を跳び越えることができなかったのか。理由は単純明快で、怖いからだ。
怖気づく僕に友人は幅跳びの練習に付き合ってくれたが、川を前にすると足がすくんで動かなかった。

 「石橋を叩いて渡る」ということわざがあるが、あれは教訓ではなくただの僕への皮肉だ。川を飛び越えた友人と、跳びすらしなかった僕の違いは、目線がどこに向いていたかだと僕は考える。
彼らは常に向こう岸の土の壁を見据えていて、僕は足元の流れる川に潜む無数の瓦礫や石に夢中だった。

 そんな僕が捉えるのは、今でも足元ばかり。よく言えば慎重、悪く言えば臆病。
もちろん悪いことばかりではないが、自分がここまで言い訳に精通している人間だとは思ってもみなかった。

 ヒトは、自分を第三者、TPS視点で自分自身を客観的に眺めることができる唯一の動物らしい。
メタ認知」と呼ばれるそれは、古代から伝わる本能で、どうやら熊やら虎から身を護る為に発達していったらしい。

それが故に、人間は誰しも言いようのない不安を感じてしまう。他の動物ならば、本能のままに獲物を捕らえるので、自分を客観視することはまずない。

 そんな「メタ認知」の恐怖が行く手を遮る中、一歩踏み出した者が世間で言う「頑張っている人」なのかもしれない。それなら、応援されるのも納得ができる。自分が立ち入ることのできない道を、彼らは恐怖をもろともせず歩いてゆく。

 「人生は妥協の連続」
半分は間違っていて、もう半分は正しい。ただ自分でブレーキを踏んでいるだけなので、アクセルを踏めば誰でも前に進むことが出来る。最初から決めつけてしまっているのは、いつも自分自身だ。

 いつの日か、胸を張って「間違っている」と断言できたのならば、僕は生きていて良かったと実感できるだろう。
そんな未来の僕に永い言い訳を託しながら、今日も睡眠を貪るとしよう。僕は一体・・・

バイト中にガラス片で薬指を切り、流血した話

 連日の猛暑のせいか、胸焼けのような痛みが纏わりついている昨今。深呼吸をしても痛みは治まらず、埃やダニを掃うにも私が倒れるのが先だろう。皆さんは、いかがお過ごしですか?

 最近始めたスーパーの品出しバイト。いつものように自転車を走らせ、タイムカードを切り、荷台を動かすだけの簡単なバイトだ。退屈ではあるが、以前の飲食とは違い自分のペースを乱されないことについては、本当に気が楽だ。

 それは夕礼が終わり、飲料を棚に陳列していた時のことだった。社員が慌ただしく僕を呼び、裏へついてこいとのこと。この社員は顔がスケートの羽生結弦を目元を暗くしてサイコチックにした顔なので、「陰生」と呼ぶことにする。

 「ガラス片付けて来て」
陰生は僕にビニール袋とペーパータオルの束を渡し、そう言った。どうやらレジを過ぎた辺りでガラスが割れたらしい。品出しとは雑用係のようなもので、店内のポップの張り出し等、しばし関係のないこともこなさなければならない。

 嫌な予感はしていた。陰生は僕にペーパータオルを渡す時、確かに左手にボロ雑巾のように黒ずんだ軍手を一組持っていた。僕はてっきりそれを使い処理するのだと考えていたのだが、彼は「気をつけてね」と一言残し、走り去ってしまった。

 渋々現場へ急行する僕。酒かなにかの瓶が割れているのかと思いきや、破片はそこまで散らばってはいなかったが、何故か生臭い空気が漂っていて、倉庫の発砲スチロール置き場と同じ臭いがした。魚の臭いが、一番厄介なのだ。

 現場には、すでに二人が到着していた。品出し部門のチーフと、パートのおばちゃん。
チーフはジャンプのレジェンド葛西や今年のワールドカップ日本代表の監督、西野に似ていてイケメン。常に笑顔を浮かべる彼の裏には、休憩室で灯した吸い殻の炎が絶えないので「ヤニ西野」と呼ぶことにする。

 ヤニ西野は僕からペーパータオルを取り上げると、濡れた床を拭き始めた。どうやら生臭い原因はこのタイルに溢れた液体にあるようで、本当に便所掃除をさせられているかのよう。それにしてもビニール袋とペーパータオルだけでガラス片をどうやって片付けるのか、お手本を陰生に是非ご披露して頂きたいものだ。

 薬指の表面を切り裂き、腹を抉り侵入してくる何か。
ヤニ西野が「そんなに強く拭かなくても---」と呟くも、時すでに遅し。
どうやらペーパータオルをガラス片が貫通し、僕の指を突き刺したようだ。零れ滴る血と共に、背中から冷や汗が滝のように溢れ出てくる。思ったより深く侵入されていたようで、出血の量も人生に今までにない位多量だった。

 「もういいよ、手洗って絆創膏貼って」
ヤニ葛西は僕にそう告げ、床に滴る血を拭き取る。
バックヤードに撤収しようと顔を上げた僕の目に、おばちゃんが映り込む。・・・え?
おばちゃんは、箒と塵取りを持っていた。いやいや、おかしいだろと。冷静に考えれば僕にも非はあるのだが、どう考えても素手でガラスを処理するヤニ葛西はおかしいし、それを見越していた陰生もおかしい。おばちゃんも、まず箒で大きなガラスを取り除いてから、床を拭く作業に入らせるべきだ。そこは例えチーフが相手でも、止めるべきだろう、と。

 完全に僕は邪魔者で、流した血は無駄になった訳だが、仕方がないのでバックヤードのトイレへ退散することにした。
指を洗い、トイレのペーパータオルとセロテープで即席絆創膏を作っていると、ヤニ葛西が絆創膏を一枚持って現れた。どうやら売り場から取ってきたらしい。
心配の言葉を投げかけ、絆創膏を剥がすヤニ葛西。
強めに薬指を締め付けるようにして、業務に戻る僕。

 少し話が脱線するが、リストカットする人の気持ちが少しわかったかもしれない。ガラス片が侵入してきた瞬間は痛みがなく、ゼリーや海老を歯で押し潰す感覚の逆というか、非日常の違和感がそこにはあった。快感とは程遠いものだったが、非日常が味わえたのは確かだった。

 後から来るタイプの激痛に、思わず今にも泣きだしそうな顔をする僕。ポテチを陳列する僕に、ねぎらいの声はおろか目を向ける者は誰一人としていなかった。

 バックヤードに戻る途中、事の発端である陰生が話しかけてきた。どうやらヤニ葛西から僕が指を切ったことを聞いたらしい。
「大丈夫?だからあれほど言ったのに

ぶっ殺すぞ
僕の脳では反射的にその一言が選出されたが、声に出せる訳がない。口にできていたら、どんなに楽なことか。
そんな僕は少し頷いた後、逃げるように荷台と共にバックヤードへ駆け込んだ。

 あの生臭さが染みついた指先を洗い、お目当ての陳列棚を探しているとそこにはヤニ葛西が。
「大丈夫?無理しないでいいからね、ごめんね」
いつものヤニで固めた笑顔と共に、僕を励ますヤニ葛西。
ここであぁ、やっぱり人は顔が9割なのかもしれないな、と思った。

 以前から陰生には悪い印象しかなかった。因みに彼もなかなかのスモーカーである。上司の前で意気揚々と僕に仕事を教えている姿をアピールし、教育上手をひけらかす陰生。
口調も普段は「いや、それはありえないでしょ」「馬鹿か?」「遅いぞどうした?」と高圧的なのに対し、その場限りで標準語に戻る。DV夫ってこんな感じなのか?と考えたりもしていた。

 傷の具合からは想像できない痛さに苛まれ、今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、顔と性格の関係性について考えていた。
ヤニ葛西の笑顔は煙で膨れた頬で作られてはいるが、笑顔に変わりはない。彼は人に頼み事をする際に、必ず最後にニコッと微笑む。あぁ、人の上に立つ職業には、なんだかんだ人格が伴わないとやっていけないんだな、と考えた。何故なら、陰生は平で、ヤニ葛西はチーフだからだ。

 ところで、どのバイトでも基本店長が口うるさく細かいのは仕事柄仕方ないのか、それとも偶然なのか。エリアマネージャー等、細かく指摘する役職があると思うと、世の中はとても面倒で厄介な仕事で溢れているのか、と考えてしまう。

 最近、僕は自分のことをトム・クルーズだと思い込むようにしている。傍から見ればただのヤバイ奴だが、実際に効果があるのだから驚く。なにがあっても
「トムならこんなことで逃げ出すか?」
「俺はトップガンのトムだ。超絶イケメンだから俺のがカッコイイし強い」
「でも俺はトムだから楽勝さ」
と、ポジティブの化身と化すことができる。
自己肯定感やらメンタリストやら依存症やらの本を読んで
実践したどのことよりも遥かに楽で、効果がすぐに出た。

 内面的な効果だけではない。
何故か陽キャの女子にまつ毛が長くて可愛いと気にいられ、ユニクロのチュッパチャップスTシャツを褒められ、LINEの交換を誘われた。クソ陰キャの僕でも、女友達位は作れるようになったのだ!

 別にトム・クルーズでなくとも、各々の心に寄り添うヒーローは自分自身だ、と思い込めば、少しはポジティブになることが出来るかもしれない。ただし、殺されたジョン・レノンのように自分が本物だと錯覚してしまうケースもあるので、ほどほどにした方が良いのかもしれない。

 僕も将来は子供のみならず、誰かの心に寄り添い、思い込まれるような、そんなヒーローのような人間に成長したいと胸に刻んだ今日この頃。アメリカのヒーロー文化にもう少し深く飛び込んでみたら面白そうだな、と夢見る僕でした。