MENU

【書評】子は親を救うために「心の病」になる

f:id:Nikuman12:20190424201451j:plain

 親父がアスペっぽいのと暗い学生生活を過ごした私は度々メンヘラ本を読むのですが、今回書評する「子は親を救うために『心の病』になる」はタイトルのインパクト、内容に普遍性が備わっている、著者が精神科医。この三点で購入を決めました。

 本書は診療での会話も織り交ぜて説明が進んで行くので、実際のケースを淡々と説明していく本とは違ってとにかく読みやすい。構成は1章から5章まであり、1章と2章は一般的なケース、3章と4章は稀なケース、5章で全ての人間に共通する存在について、と幅広い読者へ配慮した完璧な構成。読み物としてもおもしろいものに仕上がっている。


 Q.何故親は子を救うために心の病になるのか?
A.子どもの抱える心の病は、親から受け継いだ「心の矛盾」が子のなかに生み出した病だから。

 子は2.3歳になると第一反抗期になり、生まれて初めて自由を獲得する。
行動の自由を手に入れた子どもは、思春期までの約10年間、親の生き方を学び、価値観を取り入れ、社会を理解する「学童期」になる。

 ここで問題となるのが、子どもは12歳のころまでは、無心に親を真似て、親を信じて疑わない。しかし親も完璧ではないので、気持ちの偏りや嘘、悪い気持ち、間違った生き方を抱えている。こどもはそういった親の「心の矛盾」もまるごとコピーしてしまう。抱え込んだ心の矛盾は、思春期になって爆発する。

 この爆発は、これから自立しようとする時に、受け継いだ苦しみを解決しておきたい。しかし、自分の苦しみがとれるためには、親の「苦しみ」がとれないといけない。親は長年心の矛盾を封印してきた。その封印を解くために、子は「心の病」になる。

 

 一章は、親に従い続け爆発した息子、というケース。
 二章は、女の子 の「心の病」。男の子は性が違うので、母と同じようには生きられない。よって母親を支えようとして病気になる。しかし、女の子はお母さんと全く同じ生き方をなぞることができる。だから、彼女らは母親のように生きようとして病気になる。摂食障害になった娘と我慢我慢の人生だった母親のケースを紹介している。
 三章では、虐待を受けて育った母が、娘に暴力をふるってしまうケースを。
 四章では、そもそも親とのつながりを持てず、孤立感を抱えてしまったケースを紹介している。

 最後の五章は心の発達段階の最後「宇宙期」について。
この五章は立ち読みでは確認しませんでしたが本当におもしろくて、推理小説の伏線が回収されていくような、そんな感覚を覚えました。

 心理発達の原則は、心の枠を広げてより自由に動けるようになること、また認識できる世界を広げていくこと。成人期を超えた「宇宙期」は「普通の」心理システムを超えた段階であり、この世界全体が見渡せる場所であり、生きている悩みや喜びが見える場所、つまり生の意味が分かる地点である。
 虚空は見えないが、「有」が見え、虚空が推測できる、とのこと。

 宇宙期を理解するには、3つのキーワードが鍵となる。「アウトサイダー」「中年クライシス」「価値(善悪)の相対化」である。
 社会の既成の枠組みからはずれて、独自の思想をもって行動するアウトサイダー。世間から外れて孤独ではあるが、一方で社会の義務やつきあいという重圧からは自由で、縛られていない。著者がスナフキンアウトサイダーのイメージとして紹介しているのは、もの凄くしっくり来た。

 中年クライシスというのは、人生の後半の心の危機だ。ごく「普通の」社会的な価値観にしたがって自分の人生を築き上げてきた大人が、人生の後半に到り、目の前に近づきつつある「死」を迎えながら、いったい自分の人生はなんだたのかと振り返り、信じてきた価値観を見直そうとする。
 中年クライシスを超える時には、人はスナフキンと同じように村から離れることになるであろう。心理システムから離れ、その時に残るのは、「切り離された人生」、ただの「存在」、宇宙期の入り口である。

 最後のキーワード「価値(善悪)の相対化」について
善悪の相対化とは、生死について言えば、「死」を避けながら「生」きるのではなくて、二つの対立から「離れる」こと。生と死は同等に扱われるようになる。言い方を変えると、生を否定しない死の受容である。

 宇宙期は人生最後の幸せ、ゲームでいうEXステージのようなもので、「普通の」人にとってはオプションの問題らしい。何故なら、宇宙期に入るには心理システムを問い直すことになり、それは必然的に一度壊すことになるからだ。それに頼ってきた人生の土台を壊すのは危険な作業だ。
 一方、最初から不完全なシステムを持ち、生きることがつらかった人たちは、宇宙期へと進む可能性は高いだろう。彼らの心理システムは不完全なゆえに、大きな「クライス」、つまり壊すことになる社会的な存在感を必要としない。ずっと深く、長く苦しんできたからこそ、人間存在の核、その最後の幸せへと向かう力は強い。

 ただそこに「ある」。そんな感覚を本書では妻に先立たれた夫のケースを交えて説明しているが、私も稀にそんな体験をする。何故なら、無職だからだ。
 社会から外れて、特に学がある訳でも、創作をしている訳でもない。ただ毎日ひたすら映画の無料放送を貪り、お笑い番組をチェックする生活。昼寝をしたから、なかなか床に就けず、日が昇るまで近所を徘徊する・・・ふと立ち止まると、なんとも言葉にできない高揚感が胸をいっぱいにして、肺には涼しく心地よい冷気が雪崩れ込む・・・幸福感というより、地球と共にある、ただいるという感覚。これだから無職はやめられない。

 宇宙期は、この世界の心をすべて自覚できている状態である。子どもの心も、学童期も、思春期も、成人期も、さらに親と出会う前の心も。だから、宇宙期から成人期に戻り、もう一度世の中に出て、ストレスを感じて頑張ることもできる。
 皆と一緒に生きている感覚を一度閉じて、心理システムから離れる。それが「宇宙期」の入り口である。そして、再び、人とのストレスや義務を感じて「この世界」に戻る。成人期への復帰である。出入りができて、「社会的な存在感」は相対化される。

 最近の私は、所謂「成人期」への復帰を考えているのかもしれない。現にこの書評を書いている。三か月ごとのスパンで、全てがどうでもよくなる時期と、何かを求める時期が入れ替わっている。今は後者なので、モチベーションがある内はなにかしらのブログを毎日更新したいなと考えています。何になるかは知りませんが・・・。
 欲しいものリストを貼っておくので、映画のDVDを送って頂ければブログで記事にします。はい、レベッカイレイザーヘッドが観たいだけです・・・

www.amazon.jp