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小説『彼女について僕が知っている二、三の事柄』

彼女は僕を創造した。彼女は僕に世界の眺め方を、文学の読み方を、映画のショットについて、そしてそれらについての批評を、ジャズとクラシックの愉しさを、落語の深さを__かつてフランス人にとっての教師がサルトルであったように、彼女は僕の全てであった。
 彼女はいつも退屈そうな目をしていた。彼女は授業中にスマホを弄る訳でも、その毳毳しい金髪をとかす訳でもなく、虚ろなまなざしを空に投げていた。
 それは五月の中頃、高校生活というものはどうやら中学以上に退屈なものらしいと悟った時のことだ。僕が出発しかかっている京王線に飛び込むと、彼女は座ってピンクの表紙の文庫本を読んでいた。話かけようにも足が動かず、僕が降りる駅を通り過ぎてもただ冷や汗が頬を伝うばかりで、彼女の横顔を眺めるので精一杯だった。
 彼女が立ち上がるとやっと僕は我に返り、ホームへ降りる彼女を追ってなんとか声をかけた。『「絶対」の探求』という小説を読んでいるらしく、それから彼女は僕に本や映画のDVDを貸してくれるようになった。
 彼女から借りた本はどれもよくわからず、読めない漢字を調べるだけで夜が明けることもあったが、とにかく彼女を裏切りたくない一心で必死に読み、白黒の映画を観まくった。
 彼女が他の誰かとまともに話しているのを見たことがない。クラスメイトは誰も彼女に話しかけず、教師への応答も必要最低に留めているように見えた。
 彼女は休み時間も相変わらず空を見つめているので、昨夜一人熱狂したヒッチコックの話をしたくてたまらぬ時も、僕は大して仲良くもなければ話も聞くに値しない友人と一緒に購買部へと足を運ぶのだった。
 彼女はいつも幽霊のように教室をすり抜けて帰路につくので、追いつくのには一苦労だった。彼女はいつも放課後の日直や掃除当番をサボっていたけれど、誰も彼女を咎めなかった。
 僕はそんな彼女の空気のような透明さに憧れていたけれど、僕はまだまだ青いらしく、興味のない部活にも嫌々ながら休むことなく出席し、放課後は遅くまで友人と貴重な時間と金を浪費した。
 彼女は僕が必死に自分でもよくわからない空理空論を語っている時も、嫌な顔一つせず、しかし微笑むこともなく、最後まで話を聞いてくれた。彼女は僕が話し終わるまで一切口を開かないので、尋問されているようで息が詰まるばかりであったが、決して頭ごなしに否定するようなことはしなかった。
 彼女からすると、僕は実験対象のようなものだったのかもしれない。凡人の僕に書物や思想、映画を与え、どう変容していくか。
 僕は彼女の満足のいくようなサンプルになっているだろうか。そんな不安に駆られる暇もなく、僕は彼女が薦める書物の山を片付けなければならない。その上、彼女から時間と場所が指定されたメールが届くと、映画館まですっ飛んで行かなければならない。彼女の隣に座ることは決して無かったが、常連の老人に混じって観る白黒映画は、並の同級生とつるんでいては絶対に味わうことはないであろう驚きと興奮に満ちていた。
 わからないなりにも何かが掴めてきたという実感が芽生え始めた頃、彼女は学校を度々休むようになった。クラスでは相変わらず彼女の話題が話されることは無かった。
 いつもの古ぼけた自由席の映画館からの帰り道、一通りニコラス・レイの話で盛り上がった後で思い切って訪ねてみた。
「最近、あまり学校で見かけませんけれど、どうかしたんですか?」
「別に」
 それで会話は終わりだった。これ以上下手なことを話せば二度と会えないような気がして、その日はそのまま解散した。
 彼女はいつも不機嫌そうな顔をしていて、常に何かに怒っているように見えた。マルクスだの認識論的切断だの、何を言っているのかはよくわからなかった。
 彼女は静かな怒りを吐き出す時だけはとても流暢に言葉を発した。それはまるで少女の唄う讃美歌のように、彼女の語る内容はわからずとも、そのリズムに身を委ねること以上の幸せを、僕は未だに見つけることが出来ていない。
 僕は彼女が空を眺める時に見せる無機質な横顔に惚れたのだが、彼女がジョン・フォードを語る時、特に『静かなる男』について語る際の笑顔、今にも泣き出しそうに潤んだ瞳は格別だった。もし、私の瞳がその瞬間をショットに収め、フィルムに現像出来たなら、と何度頭を抱えたことだろう。
 彼女に認められることこそが僕の全てであった。彼女は私が媚びた姿勢を見せると途端に不機嫌になるが、彼女を追い詰めるような批判を投げかけると、満足そうに頷くのだった。それも鋭ければ鋭い程彼女は喜んだ。彼女は僕を自らの不安定を維持するための調整弁として利用しているようだった。彼女は何かに安住してしまうことを何よりも恐れていた。
 彼女から借りた『神曲』を読んだ時、僕と彼女の関係は、ダンテとウェルギリウスのそれにとても似ているように感じた。そのことを彼女に話すと、冗談はよしてくれと小突かれたが、どこか嬉しそうに顔が緩んでいた。
 その頃になると、僕は彼女との関係を誤解しているクラスメイトとつるむことはなくなり、かといって彼女と触れる時間が増えることはなく、ただ孤独だけが膨らんでいった。
 彼女はそんな僕を観察して楽しんでいるようだった。定期的に彼女は現れ、僕の孤独の進行具合をチェックする。文学、映画、美術、音楽をどこまで掘ったかを確認すると、彼女は次に読むべき書籍等のリストを残して姿を消す。そしてまた僕は孤独を掘り下げる。
 孤独を紛らわす為に、一度だけインターネットの掲示板を覗いてみたことがある。映画板のスレッドを徘徊するも、誰もハワード・ホークスの話をしていない。少しはもののわかる人間が集まっていそうな名画座のスレッドを開くも、一桁の人数しか閲覧しておらず、その中で交わされている会話は評論家の誰々が干されただの、どこどこのいつも後ろに座っているXXのマナーが悪いだの、素晴らしい古典映画そのものについて語っている者は誰も居なかった。
 一番盛り上がっているスレッドは新作映画の興行収入を馬鹿にするスレッドで、ついに僕は彼女以外に話し相手を見つけることが出来なかった。
 ある日を境に、彼女は全く学校に姿を見せなくなった。教室には彼女が妊娠しただとか、両親の離婚によって引っ越したと根も葉もない噂が飛び交ったが、一週間もしない内に彼女の名前は教室から消え去った。
 僕は彼女のように学校を辞める勇気もないので、なんとなく学校に通い続けていた。授業中はかつて彼女がそうしていたように空ばかり眺め、休み時間も、下校する時もただただ空を眺めていた。
 この空の青色は、かつてギリシアアテナイソクラテスが、プラトンが、アリストテレスが見た空の青と同じ青色のままだろうか。
 もしそうであるならば、学校の同級生が、教師が、親が、大人が、科学者が、政治家が、何故彼女や僕のように空を眺めていないのかが不思議でしょうがなかった。
 僕の脳内は「わからない」という単語の羅列が固形となって飛び交っていて、もうなにもわからなくなってしまった。無知の知ではなく、わからないという概念そのものの定義がわからなくなってしまった。
 彼女と『捜索者』について話したことがある。僕があの映画は空の青さが素晴らしい、人は空の美しい青色を享受する為に西部劇を観るのだ、と珍しく熱心に力説すると、彼女は満足そうな笑顔を浮かべて深く頷いてくれた。
 彼女は良い映画を観た後は何も喋らない。隣を歩いていて沈黙に耐えきれず、僕が下手なことを話しかけても彼女はやはり黙って軽く頷くだけだった。
 「良い映画とは、良いテクストとは、良い絵画とは、沈黙を強いるものだ。それも作品の方からではなく、我々の方から押し黙ってしまうような、ある種の静かな狂気を奮い立たせ、喚起させるものだ」
 と彼女は幾度も念仏を唱えるように口にしていたが、実のところ彼女が何を言いたいのか僕にはさっぱり理解できなかった。
 彼女は「実存」という言葉を嫌い、「必然性」という言葉を好んだ。僕には大して違いがよくわからず、そもそも実存も必然性もなにがあってなにがないのか、なにが必ず起こると確定しているのかが、いやそれらの全てがよくわからなかった。ただ、これをうっかり取り違えると彼女が大変機嫌を損ねるらしいことだけはわかっていた。
 僕がなによりわからないのは、彼女そのものだ。定期的に送られてくるメールには、読むべき本のリスト、観るべき配信されている映画、足を運ぶべき映画館、それもほとんどが名画座の色分けされたスケジュール表が添付されていて、そこに彼女のパーソナルな情報は一切存在しない。
 一度だけ、聞いてみたことがある。彼女の左目の上部に何かを強くぶつけたような青紫色の痣があった。髪やメイクで隠せばいいものを、普段と全く変わらぬ佇まいの彼女に何があったのかを尋ねると、「別に」の一言でおしまいだった。
 彼女は自分のことが心底どうでもよさそうだった。まるで自分の人生を他人の人生であるかのように生きていた。
 僕はより一層彼女のことがわからなくなった。芸術に心底のめり込んでいるらしい金髪の女子高生、いやもう高校生ではないのか。僕がかつての彼女と同じように空を眺めている間、彼女は一体どこで何をしているんだろう。何かしらの映画を観るだとか、読書を愉しんでいるのだろうか。
 彼女が完全に学校に姿を現さなくなってからというもの、僕は案外学校生活というものに順応していった。どうやら僕は長いものには簡単に巻かれる人間らしい。
 友人、とされるものとカラオケに行こうが、ボウリングをしようが、何も楽しくなかった。一刻も早く帰宅して、自宅の小さなモニターで『3-4x10月』を観たかった。今すぐ彼女に会って、借りた『文学とは何か』を返したかった。
 連中に彼女のことを訪ねようにも、もう顔も浮かばないくらいに彼女の存在は忘れられているようだった。
 僕は彼女から一方的に送り付けられるメールにただ従うだけなので、彼女に声をかけたあの駅が彼女の最寄り駅なのかどうかもわからない。僕はまた、それまでしていたのと同じように待つことにした。
 人生は待つものだ、と彼女は言っていた。僕は彼女からの機械的なメールを待っているが、彼女は何を待っているのだろうか。
 もし僕が彼女のように、自分をまるで他人であるかのように扱う人間であるとしたら……さっぱりわからない。
 例えば映画であれば美しいショットであるとか、推理小説ならばトリックのタネ明かしという快楽の渦がやって来るのをただ待てば良い。少なくとも僕はそうしているのだが、彼女からすると全て間違っているのだろうか。
 もし彼女にそれらを尋ね、間違っていると判明したら、僕は一体どうなってしまうのだろうか。いや、むしろ心のどこかでそうなることを望んでいるのかもしれない。
 近頃、僕は本当の所、なにかを考えているようでいてなにも考えていないのではないか、と漠然とした不安に襲われることが多々ある。
 彼女がリストを僕に送り付けるのは、僕を教育しているようでいて、実は彼女の思索の肩代わりをさせられているのではないだろうか。互いに何も考えない為の依存関係のような、思考の放棄を押し付け合っているのではないだろうか。
 僕らは動物になることを願っているのだろうか。それならなんのために芸術を、哲学を学んでいるのだろう。
 彼女は自由を求めて学校を辞めたのだろうか。彼女が求めていたのは自由ではなく、自分が何かしらの役割を全うしているという必然性であった筈で、それは彼女も重々承知していた筈なのに。
 いや、むしろ彼女は途中で退場する端役を演じていたのか。舞台であれば、退場した役者は次の舞台では復活し、千秋楽まで役を演じ通すだろうが、人生という劇場から退場するということは、即ち死しかないのだろうか。
 彼女からのメールが途絶えた。借りた本を返却しようにも、全く返信が返って来ない。
 僕がどうでもいいクラスメイトとの性行為に明け暮れている時も、頭の中には常に彼女の姿が浮かんでいた。歩道橋を歩きながら、新プラトン主義について語り合った夕暮れ時。
 成瀬のレトロスペクティブからの帰り道、『君と別れて』『まごころ』の素晴らしさを語り明かした駅前の喫煙所。
 シェイクスピアソネットを交互に暗唱し、歩いた河川敷。
 僕は彼女の話す言葉は全くと言っていい程理解できなかったが、彼女は壁にボールをぶつけるように、僕に言葉を投げ続けた。僕は自分の言葉で彼女に球を返すことは出来なかったけれど、彼女にとってそれはかえって好都合のようであった。
 それからただ無目的に生きていると高校の卒業式が終わり、大学に入学し、気付けば社会人になっていた。あれだけ毎日映画や文学に触れていたのに、最後に読書と言えるような読書をしたのは大学の卒論をなんとかやっつけ仕事で片付けた時だ。
 あの時僕はわからないと嘆いていたけれど、今ではなにも、頭の中になにもなくなってしまった。わからない対象とされるものは自動的に視覚から排除されるようになってしまった。僕がわからないを連発している時から、既にみんなは目を塞いでいたのかもしれない。僕と彼女は一体何をみつめていだのだろうか。
 同窓会に参加すると、やはり彼女の姿はなかった。どこに就職しただの、どの部署に配属されただのと、そんなことしか話すネタがないのだろうか。僕には例えば溝口について……いや、例に漏れず僕にも話すことなどなにもなかった。過去の僕が今の僕を見たらなんと言うだろうか。映画も漫画も、ドラマもテレビも周囲に同調する為だけに眺めるその貧しい感性、かつて彼女と僕が一番毛嫌いしていた人間……。
 一体、彼女はどこで何をしているのだろうか。皆に尋ねてみても、やはり誰も彼女の情報を知らない。もう彼女は嘲笑される対象ですらなく、本当に誰も存在を覚えていないらしかった。
 僕は狂ったように彼女を捜し始めた。映画館、古本屋、演芸場、小劇場、歩道橋、喫煙所、どこにも彼女の姿はない。
 彼女に初めて接触した駅の周辺をくまなく捜索すると、古びたパチンコ店にあの当時と変わらぬ金髪の彼女が座っていた。彼女の目は煌びやかなディスプレイではなく、虚ろにどこかをみつめている。それはわざと焦点をずらしているようで、空を泳いでいた。
 彼女も僕と同じく、目を塞いでしまったようだ。社会に摩耗され、自らの目を刺して盲目の道を選んだ者たち。彼らは大抵大学四年生にもなるとその道を選ぶのだが、その例に漏れず僕と彼女もその後を追う人間になってしまった。かつて僕らが最も軽蔑していた人間そのものに。
 彼女は学校に来なくなったあの日から、今のいままでパチンコ台に座り続けているのだろうか。しかし、今の僕には彼女に声をかける権利はない。僕は一足遅れて彼女の後を追い、当時からずっと彼女の後ろを歩いていたけれど、ともかくお互いに社会へと取り込まれてしまったのだから。僕が彼女を救い出すことも、またその逆もありえないだろう。
 僕は茫然として数分間彼女を灰色のまなざしで見つめた後、踵を返して店を出た。
 不思議と元気が湧いてきた。あれだけの学識を備えた彼女であっても、社会の引力から逃げおおせることは出来なかったのだ。彼女はその身をもってして、私に世界の絶望を再認識させてくれた。
 そう考えると、彼女はずっと僕のことを待っていたのだろうか。煙草の煙と爆ぜる電子音に囲まれながら、僕に教育を施すため、世界は悲哀に満ちた地獄であると知らせるために、あのチンケな椅子に座り続けていたとでも言うのだろうか。
 大学に入学してからというもの、僕の頭から「わからない」という固形物は消え失せていたのだが、彼女をパチンコ店で発見したその日から、また大量の「わからない」が脳内を占領し、家から一歩も外に出ることが出来なくなった。
 犬が歩けば棒に当たるように、僕には「わからない」がぶつかってくる。視覚に入り込んだ情報に、「わからない」が無差別に反応し始め、割れるような痛みが頭を襲い、その場で屈みこんでしまう。
 もし今の僕がLSDを摂取したならば、目を閉じても「わからない」が膨らみ続け、ついにはゴム風船のように破裂してしまうことだろう。
 彼女とはよく海外旅行の妄想を愉しんだ。タオルミーナギリシャ劇場、大英博物館、アカデミア美術館、ロッセリーニの『イタリア旅行』と全く同じ旅行をし、動画に収めようと冗談を言いつつも半ば本気にしていたあの熱っぽい視線の交差__それらの全ては、夏の一日と比べてみてもずっと美しかった。
 それから僕は熱心にショーペンハウアーを読むようになった。彼の言葉だけが僕に癒しを与え、彼は僕の父親以上に父親であった。
 彼女や僕のような虚ろな瞳をしていても勤まるようなアルバイトを見つけてから、僕はなんとか社会の隅の方に出ることができた。    
 それはなんとも嬉しく、勢い余って彼女に報告しようとあのパチンコ店へ向かったが、どこにも彼女の姿はない。彼女はいつも何も言わずに去っていく。
 アルバイトというものは、とても性に合っていた。仕事に対しての責任が一切発生しないどころか、もしなにか間違って余分なスキルを身に着けようものなら、余計なことはするなと即刻クビを言い渡されるだろう。
 夜中に実家のリビングで父がF1レースを眺めていた。F1中継を担当する新米アナウンサーは、基本的に競技に関して全くの無知である。が、二、三年もしてそろそろ馴染んできたな、という所でまた新しい無知なアナウンサーと交代する。彼らはテレビ局に正社員として雇用されているのにも関わらず、その処置はアルバイト以上に酷いものだ。社会は、少なくとも日本社会は、労働者に尊厳を抱かせることを絶対に許さない。
 かつて彼女は常に怒っていた。心の状態の零地点は怒りであった。
 彼女はまず僕を、次にクラスメイトを、教師を、労働者を、大衆を、目覚めさせようとしていた。彼女からすれば、僕らは真実を知っていながらわざと目を背けているらしい。
 仮に、彼女が本当に人々を目覚めさせる何かを知っていたとしよう。しかし、彼女に耳を貸すものは誰一人としていないだろう。時代劇のならず者のように、彼女を見れば次々に戸が閉められる。彼女は座頭市の如く、災厄を背負って歩き続けるのだ。
 それは彼女だけが知っていることではない。誰しもが彼女の知っていることを知っている。しかし、大多数の人間は“賢い”ので、自らそれらに蓋をする。でなければ社会で通用せず、実生活を営むことは不可能であり、行きつく先は死のみである。
 僕はかつてあれほど憎んだ高校教師のような口ぶりで、僕と彼女の社会不適合ぶりを哀れんだ。
 僕はいつも教師を「偽善者」と罵っていた。彼らはそれに酷く傷ついていたようだが、今となっては彼らの心情が痛い程よくわかる。
 嫌悪すればする程、人間はそれに惹き付けられてしまう。それは朝顔の脇に透明の棒をたてるようなものだ。自らの自由によって上昇しているようでいて、その実、見えざる何かに絡めとられ、曲がることを繰り返して天へと昇って行く。
 僕は蜘蛛の糸を捜していた。真っ直ぐ天から落とされた糸を。頂上になにもないただの棒きれではなく、たとえ細くとも登れば天へと辿り着く一筋の糸を。そんなものはどこにもないのに。
 河川敷を歩いていると、遠くの桟橋に何か大きな物体がぶら下がっている。影で姿は確認出来ず、近寄ってみると、首をくくった彼女であった。足に触れると冷たくなっているので、もう既に死んでいるだろう。
 僕はこれから、一体どうしたら良いのだろうか。地獄の案内人を失い、世界に取り残されてしまった僕に、一体何が出来るというのだ。
 フリーターで、世間知らずで、映画や文学、哲学を多少齧ってはいるものの、それで大学という世界で飯を食えるとは到底思えない。
 警察が到着するまでの間、わからないではなく、漠然とした不安が僕を蝕んでいた。
 葬儀場には誰も居なかった。人の気配がなく、まるで数十年前からそのままそこにあったかのような、人ではなく神を祭っているような祭壇。
 彼女の最後はあまりにも寂しいもので、彼女は僕の頭が作り出した何かでないかと考えもしたのだが、棺の中には確かに彼女の身体が収められていた。このまま放っておけば誰に焼かれることもなく、そのままの状態で永遠にそこに留まっていてもおかしくはないとすら感じる異様な空間。
 僕は悔しくてたまらなかった。彼女の棺に火をつけ、この世界もろとも全てを燃やし尽くしてしまいたい気分だった。
 いや、既にこの世界は一度燃え尽きているのだ。僕らがあれこれ考えている内に、人々は、社会はもう動き出していた。僕らを待っているかのようなそぶりを見せるだけ見せておいて、チャンスだと言わんばかりに彼らは馬車馬の如く世界の再生に尽力する。
 僕はもう、疲れてしまった。「わからない」に苛まれることに、漠然とした不安に包まれながら夜を明かすことに。
 僕の必ず前を歩き、上に立っていた彼女ですら、この世界の圧力に耐え切ることが出来なかったのだ。僕に一体、なにが出来るというのだろう。
 それから僕はただ家にひきこもるようになった。かといって読書をするでもなく、ネットゲームに興じることもない。あれだけ熱心に読み耽ったショーペンハウアーすらも、フリマアプリで売ってしまった。
 今の僕は抜け殻、いや、僕は常に抜け殻のような人生を歩んでいた。物事の本質を欠いた、薄い膜のような人生。彼女が本体で、僕は彼女が食べそこなった抜け殻にすぎないのだ。彼女の気まぐれで放置されたのが僕なのだ。
 そんな僕に、一体何ができようか。ああ、こんな今になって、ひとつだけ確実にわかったことがある。漠然とした不安という奴だ。
 それは想像していたよりも遥かに熱っぽく、ひきこもりの僕を外へと連れ出した。あてもなく歩いていると、彼女がぶら下がっていた桟橋に辿り着いた。あの光景から綺麗に彼女だけが切りぬかれていた。僕も彼女と同じように、この世界から抜け出せると思うと、なんだか活力が湧いてきた。今まで一度も知覚したことのないエネルギーが、僕のなかで沸騰するのを感じる。僕はそれに身を委ねてみることにした。
 はっと我に返ると、僕はビルの八階を彷徨っていた。部屋番号が80……と連続している。
 その数字をわけもなく追いかけていると、建物の連結部から青い空が見える。とても美しい空が。
 それはかつて彼女が、僕が眺めていた空そのものだった。世界は変わらずそこにあった。
 そこに彼女が居るような気がして、身を乗り出して手を伸ばすと、僕は宙に舞っていた。これでやっと世界と、そして彼女と一体化出来たような気がして、とても嬉しい心持ちであった。