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優しい嘘

 僕は嘘つきだ。弟からは、嘘をつくのが上手いと褒められるが、僕は顔に出てしまうタイプなので、嘘をつく時には「話の筋に合わせる」ことを意識している。
例え不利な状況になっても、一度受け入れ流れに乗り、話のペースを乱さず、相手を信用させる。

 僕は今日もまた一つ、嘘をついた。
弟は、現在ゲーム機器の使用を母によって禁止されている。
理由は「勉強をしないから」だそうだ。
正直、僕の過去の経験からしてもゲームを取り上げたところで勉強時間は延びないが、母は聞く耳を持たない。

 弟は、自分で新たにゲーム機を購入し、自室で母に怯えながらマリオカート7と太鼓の達人を貪る毎日。学校には真面目に毎日通っているので、僕の時とは幾分かマシなのだが、その分母の見当違いな期待の餌食になっているのかもしれない。

 そんな申し訳なさもあってか、僕は度々嘘で弟を庇っている。ゲーム機を僕が弟に貸していると問い詰められた時は、弟が勝手に持って行ったことにしてDSを僕が回収&リリース。そんなことが何度か続き、その都度僕は弟を庇った。時には、僕が全面的に悪者になることもあった。

 正直、全く事実無根のことで悪者にしたてあげられるのは、たまったもんじゃない。僕のメンタルもそう丈夫ではないし、疲れていた。そんなまた嘘をついたある日のこと。
弟は僕に
「お前にはいつも申し訳ないし」
と、渋々現実を受け入れ、また新たにDSを購入しようか検討していることを伝えた。

 寝落ちでどうせバレてキリがないからやめとけ、と納得させるも、僕は少し嬉しかった。
少なからず、弟が「申し訳ない」という罪悪感を抱いていたことが。

 僕が弟を庇うのは、根本的な解決ではなく、一時的な気休め程度にしかならないが、それでも妥協するしかないのが現状だ。

 僕はその日、弟と夕飯のマックを食べた帰り道、自転車で並走しながら話していた。
「俺、そろそろ家出たいわ。やってらんねえよな」
「じゃあ俺が家出る時に、一緒に出ようよ。じゃないとこええ」
「あと3.4年はかかるじゃん。正直きついわ。」
「・・・」
「じゃあ、お前と俺がろくでもなくなったら、一緒に住もう。お前は大学にでも行ったつもりで、俺と芸人でもやろうぜ。」
「一緒に住むのはいいけど、芸人はやだよ」
「じゃあバンドでもやるか?お前ピアノやってんじゃん」
「なら芸人のがマシだよ」

 正直、一秒でも早くこの家を出たいと思っているが、弟が本当に心配だ。弟が親を殺す可能性も考えられなくはないし、その逆もありうる。そこまで過剰にならなくとも、母のストレスの矛先が弟に集中するのは目に見えている。

 最近、自分がどうすればいいのかがわからない。
自分勝手に生きてもいいが、弟とは仲が良いので、見捨てたくはない。一緒に住むにしても、弟がバイトできる年齢に達するまでは、少なくともあと三年はかかる。僕も収入が十分にある訳ではない。

 人生は、妥協の連続。
それにしても妥協点が、あまりにも低すぎるよ・・・

心が折れそうな時は、映画「きっと、うまくいく」を観ましょう。

 最近の僕の心は、曇り空だった。逃げ続けていたツケが、ついに回ってきてしまったのだ。

 すしざんまいでまぐろざんまいを食べながらも、僕は涙が止まらなかった。トイレの個室に退散するや否や、理性のタガが外れ、号泣してしまった。
惨めな僕を、少しでも慰めようと気を使い、すしざんまいへ連れて行ってくれた母。。。やるせない気持ちは全て自分のせいなので、本当に消えてしまおうかと考えていた。

 そんな僕が、電子ドラッグにすがる思いで視聴したのが映画「きっと、うまくいく」
いかにもカルトチックなタイトルなので、前々から気になりつつも避けていたが、実際は素晴らしい内容でした。映画で泣いたことの無かった僕が、5、6回は号泣する程に。
そもそも、原題が「3idiots」(3バカ)なので、視聴する前からタイトル切りしてしまった人は多いだろう。翻訳に疑問を抱いた。

 本作のキーワード「All izz well」は、邦題だと「うまくいく」と訳されているが、これだと未来を信じろといったニュアンスになってしまう。
本来のメッセージとしては、どちらかと言うと現状肯定のニュアンスが強く、現状の自分を納得させる為に使われている。
この訳に違和感を感じたのは私だけではないようで、少し調べてみると、「これでいいのだ」が一番しっくりきた。アナ雪の「ありのままの〜」も近いかもしれない。

  正直、本当に面白い映画なので、内容になるべく差し支えのないように紹介しようと思う。0から見た方が面白いからね。
この映画の1番の魅力は、「生きているだけで100点」だと実感出来る所。本作はインド映画ということもあってか、メッセージ性に強い説得力がある。

 主人公のランチョーら3バカは、ICEことインドNo1の工科大学生。毎年40万人から選び抜かれた200人が通り抜ける狭き門であるが故に、入学してからも試験に追われ続ける学生達。酒や祈りに浸る中、ランチョーは胸に手を当て「All izz well」と唱える。
彼曰く、人の心はとても臆病だ。だから、麻痺させているとのこと。
ルームメイトは馬鹿にし、「それで困難が解決するのか?」と問うも、ランチョーは
「困難を無視出来る」「将来は、誰にもわからない」とのこと。

 本作のメッセージには、妙な説得力がある。流石仏教の聖地インド。他にもインドの教育システムであったり、学生の自殺にも切り込んでいて、見所は数え切れない。

 僕が一番心を動かされたのが、ランチョーの圧力で自殺するのは殺人だ、という考え。
僕は、生きているだけで100点で、それからの加点方式という考えで生きてきたが、現実はそう優しいものではない。そんな中、ランチョーだけが僕の心の友として、寄り添ってくれる。
映画がここまで人の心を動かすことが出来るのか、と映画の可能性を感じた。間違いなく生涯の10本に入るし、一生の友が現れた。

 インド映画には必須のダンスシーンも、絶妙なタイミングで踊りだし、歌も踊りも素晴らしい。
時系列が前後するタイプの映画なのだが、差し替え方が上手すぎる。脚本が練られていて本当に素晴らしい。

 人間、誰しも生きていると必ず壁に当たるだろう。そんな時は、「きっと、うまくいく」を視聴してみて欲しい。ランチョーと共に、All izz wellと唱えれば、今を生きることが出来るし、明日を生きることだって出来る。
自殺対策にもってこいの映画だと思う。本当に素晴らしい映画なので、是非落ち込んだ時には視聴してみて欲しい。今なら、Amazonプライムで無料で視聴できます。

心の靄

いつからだろう 心に靄が張り詰めたのは

目を閉じれば、雨音すら聞こえてくる

明けない夜はないが、晴れない靄はない

横になれば、僕を取り巻くピアノの音色

丑三つ時になると鳴り響く、僕のアラーム

僕を取り巻くその音色は、確かに共鳴している

取り憑かれた僕は、ただ嗜むばかりで

 
それは引き寄せられた磁石のよう
 
エクソシストでもない限り、切り離せないだろう
 
今も変わらず鳴り響くその音色は
 
僕が奏でているだけかもしれない
 
鳥のさえずりと共に、眠りにつく
 
鳩と迎える朝は、心地が良い
 
君の横顔が見れないのは、残念だけどね

俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話

 漫画版「君たちはどう生きるか」の中で、

「そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものはーーー自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。」
「自分の行動を振りかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。」

という一文があり、ふと俺がバイトをバックレた時のことを思い出した。

あれは夏が終わり、木々が紅葉し始めた頃だったーーー


 その日はシフトが入っていた。
まだ入ってから数か月の新人の僕は、店長に自分のシフトを任せていた。
なので、シフトが入る曜日がばらばらだったし、出勤する店舗もその日のシフトごとに異なっていた。

シフトが発表された次の出勤日には、いつもより早く家を出て、スケジュールを確認する必要があった。

そしてその日こそ、スケジュールを確認しなければいけない、面倒な日だった。


 バイト漬けの夏休みを満喫した僕は、店長にシフトを空けたい期間を伝えていた。遅れた休暇を取るために。

そして、その時はやって来る。

 スケジュールを確認すると、なんと空けた期間の分のシフトが前倒しされていた。しわ寄せされていたのだ。


 後々から考えれば、特におかしいことではなかった。
丸々休めると僕が考えていたのは、ただの勘違いだっただけかもしれないし、店長に自分のシフトを任せっきりにしていた僕にも落ち度はある。

それでも当時の僕はパニックになってしまい、少しの間封印してきた「バックレ」癖が、再び目を覚ました。


 その日は、応援勤務が入っていた。
時間にはまだ余裕があり、今から駅へ向かえばまだ間に合う時刻だ。しかし、自転車に乗った僕は、帰路についていた。

 家に帰った僕はまず、後悔をした。
遅刻が確定した訳でもないのに、出勤しなかったことを。
それでもシフトをしわ寄せされたショックは、僕の中でバックレる理由には、充分すぎるものだった。


 次に僕は、もうこのバイトを辞めてしまおうと考えた。
応援先に迷惑をかけ、連絡される店長にも迷惑をかけた後、平然とシフトに出られる勇気はなかった。

 謝ったとしても、その日以降のシフトには当然出勤しなければいけないし、そもそも当時の僕には「謝る」という選択肢がなかった。
何故なら、僕は店長に勝手に裏切られた気持ちになっていて、腸が煮えくり返っていたからだ。

 僕は部屋の隅に積まれたAmazonダンボールを一つ手に取り、制服に手紙を添えて、自分の店舗へ送り付けた。流石に、着払いにはしなかった。

 
 制服を送り付けたからといって、気分が晴れる訳でもない。ずっと自分の部屋に閉じこもり、携帯の電源も切っていると、母に呼び出された。
どうやら自宅に電話がかかって来たらしく、母が受話器を取ってしまったようだ。
 

 渋々店長からの電話を受け取った僕は、号泣した。
昔から、怒られたり叱られたりすると泣いてしまうタイプだった僕だが、その時は店長が話し出す前に泣いてしまった。

自分のしでかしてしまったことをはっきりとわからされた僕は、泣きながら謝罪をした。

 店長曰く勤務態度も真面目だったので、心配も兼ねて電話をしたとのことだった。
僕の送った「荷物」はもう届いていたらしい。

 店長は、シフトを自由に決めてしまっていた自分にも落ち度があるとして、僕がシフトを自分で決めるようにし、しわ寄せされたシフトは出勤しなくても構わないから、続けてみないか、と提案してきた。

僕は、ただただ頷くことしかできなかった。

 今思えば、あの店長は本当に優しくて、仕事が出来る人間だったな、と思う。
あの店長は、今年の四月に有能な社員を引き連れて、他のエリアへと飛び立ってしまった。


 僕が最近このバイトを辞めたのは、あの店長が居なくなってしまったからかもしれない。
新しい店長は、ピーク時は人に怒鳴り散らす癖に、シフトをギリギリまで削る人だった。

 それに比べてあの店長は、たとえ日曜のピーク時でも人に当たることは全くなかったし、忙しい曜日には、その分シフトを厚くしていた。

 あの店長には、まだ小さな子供がいた。
バックレた時の電話に、子供の泣き声が入っていた。

 僕は店長の優れた人格と能力は、子供が居ることによるものだと思い、真の「大人」になる為には、子育てを経験することが必須だと思い込んでいた。

新しい店長の口から、中学生の娘の話がされるその時までは。

消化不良

 小学三年生を殺害した犯人が、最近捕まったそうだ。事件から14年経過していて、容疑者は別の事件で服役中だそう。

 ニュースをなんとなく見ているだけでも、容疑者の無職率は高いと感じる。僕はこの無職が非行に走ってしまう原因が、「消化不良」にあると考えた。


 最近の僕は、まさに消化不良そのものである。
最近まで僕は飲食店のアルバイトをしていたのだが、そこそこ忙しい店舗だったこともあり、自然と陰キャの僕でも体力がついた。


 しかし、辞めてからはどうだろう。
そう、エネルギーがあり余って消化しきれないのである。
心に靄が張り付いているような、そんな感じだ。

 

運動がてらに自宅で出来る筋トレを始めてみたりもしたが、正直筋肉がついたところで、心に日が差すことはない。

ある意味、アルバイトがエネルギーを吐き出す場所になっていたことに、辞めてから気が付いた。
人間、失わないと気が付けないのは、本当に愚かだと思う。


 人間、誰しも少なからず向上心を持っている。
それは無職も例外ではない。

確かに、毎日充実した日々を送るニートや無職も存在するだろうが、一度くらいはこのままではいけないと、考えたことがあると思う。

 非行に走ってしまった彼らもそうだ。
起こしてしまった行為を擁護する気は全くないが、彼らのエネルギーの捌け口が見つからなかったことや、置かれた環境については、同情の余地があると思う。


 人生、どうにもならないことがいくつもある。
とある本によると、脳をつくるのはある程度まで遺伝によって決定されているらしい。

一般的知能の遺伝率は、記憶力の遺伝率のほぼ二倍、外向性や言語的推論能力といった特質は、一般的知能とほぼ同等の遺伝率となっているらしい。

環境の影響が全くない訳ではないが、少なくとも学習成績に関わる要素は、かなり遺伝的な影響があるらしい。


 そんなこんなで、僕もどうにかエネルギーをうまく放出できないものか、と考えていました。
やらかして、弟や祖父に迷惑は、かけたくないからね。

チャリ10分圏内で、時給1000円以上、土日手当100円以上のアルバイト求人、落ちてないかな~~~
僕の逃亡劇は、まだまだ続きます。おわり

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囚われたがりの僕ら

 バイトを辞めてから、早一ヶ月が過ぎる。
辞めたのは正しい決断だったが、かといって今の生活が以前より充実している訳でもない。
そんな、憂鬱な日々を送る僕の話を聴いてくれ。


 これは僕だけかもしれないが、案外人は「囚われたがり」なことに気が付いた。

以前テレビ番組で、東進の林先生が
「子供がゲームを辞めたところで、勉強時間が増える訳ではない」

と、言っていた。まさに今の僕そのものだ。
バイトを辞めたからといって、無を貪る癖は全く治る気配がないし、多分一生完治することはないだろう。


 「囚われる」と、気持ちが楽になる。 
子育てをある程度済ませた専業主婦が、パートを始めるのと同じで、仕事の最中は余計なことを考える必要が一切ない。
それは僕も、同じだった。

店長に怒鳴られるのも、自分で自分を責めるのに比べたら、幾分か楽だったかもしれない。

ただの小遣い稼ぎ程度としか認識していなかったが、僕の心の支えになっていたのは、確かだった。


 今まで自分は社会不適合者だ、と思い込んでいたが、実はそうでもないのかもしれない。

かといって、「囚われる」ことに居心地の良さを感じる訳でもない。

漂流した僕らの終着点は、果たして何処に・・・


 死がゴールだと思わなくもないが、明日からプリキュアとプリチャンが観られなくなると思うと、やっぱり悲しいです・・・

打ち上げに参加したかったけど、参加しなかった男。

 先日、知人らとの打ち上げに参加することになった。
結果から言うと、行かなかった。
かといって、参加したくなかった訳ではない。正直、7割位の気持ちで行きたかった。
れでも僕は、反対方向の電車に乗っていた。


 打ち上げの前に、みんなで集まることになっていた。場所は、いつもの作業場所。
仕事があってないような僕は、憂鬱だった。ただ本を読んだり、書類整理をしているふりをしたり、何度も外に出たりするのを5時間も繰り返すのは、流石の僕でもキツイ。


 丁度その日はいい言い訳が思いついたので、作業終了時間の一時間前に顔を出し、その流れで打ち上げに参加し、タダ飯を食らおうとした。
我ながら、完璧な考えだと思った。


 しかし、人生そんなに一筋縄ではいかない。
終了時間の一時間前に顔を出すと、皆もう居なかった。
既に、打ち上げ会場へ移動していたのだ。

 ただ、ここまでは何も問題はない。
何故なら、その足で直接会場に向かえば、タダ飯にありつくことが出来たからだ。


それなのに僕は、そのまま帰宅するという意味不明な行動を取る。

 最寄り駅からチャリを漕ぎながら、僕は考えた。何故、また回避してしまったのか。
メンバーはむしろ良い位。こんなクソ陰キャの俺に対しても、彼らは何ら変わりなく優しく接してくれる。

しかしそれこそが、回避の原因だった。


 僕は自分が傷つくことでしか、自分の存在を確認することができないことに、気が付いてしまった。
優しくされた時に、どう反応すればいいのか未だによくわからない。
とりあえず「ありがとう」と感謝の気持ちを述べるのだが、それからどう話を広げればいいのかがわからない。

自分が相手の好意を踏みにじってしまっていないか、邪魔になっていないかと、自分を意味もなく傷つけてしまう。


 打ち上げだって、参加したかった。けれど、参加しないことで自分を痛めつけて、自らのアイデンティティーを保っていたのかもしれない。


 前のバイト先の飲食店では、本当に全てが最悪だった。
特に人間関係は最悪で、意識高い系のおばちゃんの暴走は、誰にも止めることが出来なかった。
その悪評はエリア内全てに広まっていたが、彼女の代わりに夜勤シフトを埋める者は、誰も居なかった。

が、仕事さえできれば上手くかわせることを知り、なんだかんだ約二年続いた。


 今思えば、あれも自傷行為の一種だったのかな、と感じる。
正直給料もそこまで良くなかったし、非効率なのはわかっていた。
ただ、たまたま所属していた店舗が売上トップだったからか、世間話をする余裕はあまり無かった。
おばちゃんさえ回避すれば、人間関係はとてつもなく楽だった。それだけが、僕を繋ぎとめていた蜘蛛の糸だった。
人間関係が薄いのは、本当に楽だったから。


 優しさを、素直に受け取る方法がよくわからない。
壊れてしまった僕の心では、感じ取ることが出来なくなっているのかもしれない。
それでも、プレゼント等の「」なら、素直に喜ぶことができる。ちょろい。


 僕の大好きな黒澤明の映画「乱」のワンシーンで、一族が滅びるのを見届けた側近が
泣くな、これが人の世だ。幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ。
と嘆くシーンがある。
僕にしか当てはまらないと感じていたが、不倫やゴシップ等、しょーもない負のオーラが世間に求められている以上、人類共通なのかもしれない。

 この乾いた気持ちは、一生満たされることはないのかもしれない。ないものねだりって奴なのかな。


 弟がピアノ教室辞めたがってるんだけど、代わりに俺が通ってみようかな・・・