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バイト中にガラス片で薬指を切り、流血した話

 連日の猛暑のせいか、胸焼けのような痛みが纏わりついている昨今。深呼吸をしても痛みは治まらず、埃やダニを掃うにも私が倒れるのが先だろう。皆さんは、いかがお過ごしですか?

 最近始めたスーパーの品出しバイト。いつものように自転車を走らせ、タイムカードを切り、荷台を動かすだけの簡単なバイトだ。退屈ではあるが、以前の飲食とは違い自分のペースを乱されないことについては、本当に気が楽だ。

 それは夕礼が終わり、飲料を棚に陳列していた時のことだった。社員が慌ただしく僕を呼び、裏へついてこいとのこと。この社員は顔がスケートの羽生結弦を目元を暗くしてサイコチックにした顔なので、「陰生」と呼ぶことにする。

 「ガラス片付けて来て」
陰生は僕にビニール袋とペーパータオルの束を渡し、そう言った。どうやらレジを過ぎた辺りでガラスが割れたらしい。品出しとは雑用係のようなもので、店内のポップの張り出し等、しばし関係のないこともこなさなければならない。

 嫌な予感はしていた。陰生は僕にペーパータオルを渡す時、確かに左手にボロ雑巾のように黒ずんだ軍手を一組持っていた。僕はてっきりそれを使い処理するのだと考えていたのだが、彼は「気をつけてね」と一言残し、走り去ってしまった。

 渋々現場へ急行する僕。酒かなにかの瓶が割れているのかと思いきや、破片はそこまで散らばってはいなかったが、何故か生臭い空気が漂っていて、倉庫の発砲スチロール置き場と同じ臭いがした。魚の臭いが、一番厄介なのだ。

 現場には、すでに二人が到着していた。品出し部門のチーフと、パートのおばちゃん。
チーフはジャンプのレジェンド葛西や今年のワールドカップ日本代表の監督、西野に似ていてイケメン。常に笑顔を浮かべる彼の裏には、休憩室で灯した吸い殻の炎が絶えないので「ヤニ西野」と呼ぶことにする。

 ヤニ西野は僕からペーパータオルを取り上げると、濡れた床を拭き始めた。どうやら生臭い原因はこのタイルに溢れた液体にあるようで、本当に便所掃除をさせられているかのよう。それにしてもビニール袋とペーパータオルだけでガラス片をどうやって片付けるのか、お手本を陰生に是非ご披露して頂きたいものだ。

 薬指の表面を切り裂き、腹を抉り侵入してくる何か。
ヤニ西野が「そんなに強く拭かなくても---」と呟くも、時すでに遅し。
どうやらペーパータオルをガラス片が貫通し、僕の指を突き刺したようだ。零れ滴る血と共に、背中から冷や汗が滝のように溢れ出てくる。思ったより深く侵入されていたようで、出血の量も人生に今までにない位多量だった。

 「もういいよ、手洗って絆創膏貼って」
ヤニ葛西は僕にそう告げ、床に滴る血を拭き取る。
バックヤードに撤収しようと顔を上げた僕の目に、おばちゃんが映り込む。・・・え?
おばちゃんは、箒と塵取りを持っていた。いやいや、おかしいだろと。冷静に考えれば僕にも非はあるのだが、どう考えても素手でガラスを処理するヤニ葛西はおかしいし、それを見越していた陰生もおかしい。おばちゃんも、まず箒で大きなガラスを取り除いてから、床を拭く作業に入らせるべきだ。そこは例えチーフが相手でも、止めるべきだろう、と。

 完全に僕は邪魔者で、流した血は無駄になった訳だが、仕方がないのでバックヤードのトイレへ退散することにした。
指を洗い、トイレのペーパータオルとセロテープで即席絆創膏を作っていると、ヤニ葛西が絆創膏を一枚持って現れた。どうやら売り場から取ってきたらしい。
心配の言葉を投げかけ、絆創膏を剥がすヤニ葛西。
強めに薬指を締め付けるようにして、業務に戻る僕。

 少し話が脱線するが、リストカットする人の気持ちが少しわかったかもしれない。ガラス片が侵入してきた瞬間は痛みがなく、ゼリーや海老を歯で押し潰す感覚の逆というか、非日常の違和感がそこにはあった。快感とは程遠いものだったが、非日常が味わえたのは確かだった。

 後から来るタイプの激痛に、思わず今にも泣きだしそうな顔をする僕。ポテチを陳列する僕に、ねぎらいの声はおろか目を向ける者は誰一人としていなかった。

 バックヤードに戻る途中、事の発端である陰生が話しかけてきた。どうやらヤニ葛西から僕が指を切ったことを聞いたらしい。
「大丈夫?だからあれほど言ったのに

ぶっ殺すぞ
僕の脳では反射的にその一言が選出されたが、声に出せる訳がない。口にできていたら、どんなに楽なことか。
そんな僕は少し頷いた後、逃げるように荷台と共にバックヤードへ駆け込んだ。

 あの生臭さが染みついた指先を洗い、お目当ての陳列棚を探しているとそこにはヤニ葛西が。
「大丈夫?無理しないでいいからね、ごめんね」
いつものヤニで固めた笑顔と共に、僕を励ますヤニ葛西。
ここであぁ、やっぱり人は顔が9割なのかもしれないな、と思った。

 以前から陰生には悪い印象しかなかった。因みに彼もなかなかのスモーカーである。上司の前で意気揚々と僕に仕事を教えている姿をアピールし、教育上手をひけらかす陰生。
口調も普段は「いや、それはありえないでしょ」「馬鹿か?」「遅いぞどうした?」と高圧的なのに対し、その場限りで標準語に戻る。DV夫ってこんな感じなのか?と考えたりもしていた。

 傷の具合からは想像できない痛さに苛まれ、今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、顔と性格の関係性について考えていた。
ヤニ葛西の笑顔は煙で膨れた頬で作られてはいるが、笑顔に変わりはない。彼は人に頼み事をする際に、必ず最後にニコッと微笑む。あぁ、人の上に立つ職業には、なんだかんだ人格が伴わないとやっていけないんだな、と考えた。何故なら、陰生は平で、ヤニ葛西はチーフだからだ。

 ところで、どのバイトでも基本店長が口うるさく細かいのは仕事柄仕方ないのか、それとも偶然なのか。エリアマネージャー等、細かく指摘する役職があると思うと、世の中はとても面倒で厄介な仕事で溢れているのか、と考えてしまう。

 最近、僕は自分のことをトム・クルーズだと思い込むようにしている。傍から見ればただのヤバイ奴だが、実際に効果があるのだから驚く。なにがあっても
「トムならこんなことで逃げ出すか?」
「俺はトップガンのトムだ。超絶イケメンだから俺のがカッコイイし強い」
「でも俺はトムだから楽勝さ」
と、ポジティブの化身と化すことができる。
自己肯定感やらメンタリストやら依存症やらの本を読んで
実践したどのことよりも遥かに楽で、効果がすぐに出た。

 内面的な効果だけではない。
何故か陽キャの女子にまつ毛が長くて可愛いと気にいられ、ユニクロのチュッパチャップスTシャツを褒められ、LINEの交換を誘われた。クソ陰キャの僕でも、女友達位は作れるようになったのだ!

 別にトム・クルーズでなくとも、各々の心に寄り添うヒーローは自分自身だ、と思い込めば、少しはポジティブになることが出来るかもしれない。ただし、殺されたジョン・レノンのように自分が本物だと錯覚してしまうケースもあるので、ほどほどにした方が良いのかもしれない。

 僕も将来は子供のみならず、誰かの心に寄り添い、思い込まれるような、そんなヒーローのような人間に成長したいと胸に刻んだ今日この頃。アメリカのヒーロー文化にもう少し深く飛び込んでみたら面白そうだな、と夢見る僕でした。

優しい嘘

 僕は嘘つきだ。弟からは、嘘をつくのが上手いと褒められるが、僕は顔に出てしまうタイプなので、嘘をつく時には「話の筋に合わせる」ことを意識している。
例え不利な状況になっても、一度受け入れ流れに乗り、話のペースを乱さず、相手を信用させる。

 僕は今日もまた一つ、嘘をついた。
弟は、現在ゲーム機器の使用を母によって禁止されている。
理由は「勉強をしないから」だそうだ。
正直、僕の過去の経験からしてもゲームを取り上げたところで勉強時間は延びないが、母は聞く耳を持たない。

 弟は、自分で新たにゲーム機を購入し、自室で母に怯えながらマリオカート7と太鼓の達人を貪る毎日。学校には真面目に毎日通っているので、僕の時とは幾分かマシなのだが、その分母の見当違いな期待の餌食になっているのかもしれない。

 そんな申し訳なさもあってか、僕は度々嘘で弟を庇っている。ゲーム機を僕が弟に貸していると問い詰められた時は、弟が勝手に持って行ったことにしてDSを僕が回収&リリース。そんなことが何度か続き、その都度僕は弟を庇った。時には、僕が全面的に悪者になることもあった。

 正直、全く事実無根のことで悪者にしたてあげられるのは、たまったもんじゃない。僕のメンタルもそう丈夫ではないし、疲れていた。そんなまた嘘をついたある日のこと。
弟は僕に
「お前にはいつも申し訳ないし」
と、渋々現実を受け入れ、また新たにDSを購入しようか検討していることを伝えた。

 寝落ちでどうせバレてキリがないからやめとけ、と納得させるも、僕は少し嬉しかった。
少なからず、弟が「申し訳ない」という罪悪感を抱いていたことが。

 僕が弟を庇うのは、根本的な解決ではなく、一時的な気休め程度にしかならないが、それでも妥協するしかないのが現状だ。

 僕はその日、弟と夕飯のマックを食べた帰り道、自転車で並走しながら話していた。
「俺、そろそろ家出たいわ。やってらんねえよな」
「じゃあ俺が家出る時に、一緒に出ようよ。じゃないとこええ」
「あと3.4年はかかるじゃん。正直きついわ。」
「・・・」
「じゃあ、お前と俺がろくでもなくなったら、一緒に住もう。お前は大学にでも行ったつもりで、俺と芸人でもやろうぜ。」
「一緒に住むのはいいけど、芸人はやだよ」
「じゃあバンドでもやるか?お前ピアノやってんじゃん」
「なら芸人のがマシだよ」

 正直、一秒でも早くこの家を出たいと思っているが、弟が本当に心配だ。弟が親を殺す可能性も考えられなくはないし、その逆もありうる。そこまで過剰にならなくとも、母のストレスの矛先が弟に集中するのは目に見えている。

 最近、自分がどうすればいいのかがわからない。
自分勝手に生きてもいいが、弟とは仲が良いので、見捨てたくはない。一緒に住むにしても、弟がバイトできる年齢に達するまでは、少なくともあと三年はかかる。僕も収入が十分にある訳ではない。

 人生は、妥協の連続。
それにしても妥協点が、あまりにも低すぎるよ・・・

心が折れそうな時は、映画「きっと、うまくいく」を観ましょう。

 最近の僕の心は、曇り空だった。逃げ続けていたツケが、ついに回ってきてしまったのだ。

 すしざんまいでまぐろざんまいを食べながらも、僕は涙が止まらなかった。トイレの個室に退散するや否や、理性のタガが外れ、号泣してしまった。
惨めな僕を、少しでも慰めようと気を使い、すしざんまいへ連れて行ってくれた母。。。やるせない気持ちは全て自分のせいなので、本当に消えてしまおうかと考えていた。

 そんな僕が、電子ドラッグにすがる思いで視聴したのが映画「きっと、うまくいく」
いかにもカルトチックなタイトルなので、前々から気になりつつも避けていたが、実際は素晴らしい内容でした。映画で泣いたことの無かった僕が、5、6回は号泣する程に。
そもそも、原題が「3idiots」(3バカ)なので、視聴する前からタイトル切りしてしまった人は多いだろう。翻訳に疑問を抱いた。

 本作のキーワード「All izz well」は、邦題だと「うまくいく」と訳されているが、これだと未来を信じろといったニュアンスになってしまう。
本来のメッセージとしては、どちらかと言うと現状肯定のニュアンスが強く、現状の自分を納得させる為に使われている。
この訳に違和感を感じたのは私だけではないようで、少し調べてみると、「これでいいのだ」が一番しっくりきた。アナ雪の「ありのままの〜」も近いかもしれない。

  正直、本当に面白い映画なので、内容になるべく差し支えのないように紹介しようと思う。0から見た方が面白いからね。
この映画の1番の魅力は、「生きているだけで100点」だと実感出来る所。本作はインド映画ということもあってか、メッセージ性に強い説得力がある。

 主人公のランチョーら3バカは、ICEことインドNo1の工科大学生。毎年40万人から選び抜かれた200人が通り抜ける狭き門であるが故に、入学してからも試験に追われ続ける学生達。酒や祈りに浸る中、ランチョーは胸に手を当て「All izz well」と唱える。
彼曰く、人の心はとても臆病だ。だから、麻痺させているとのこと。
ルームメイトは馬鹿にし、「それで困難が解決するのか?」と問うも、ランチョーは
「困難を無視出来る」「将来は、誰にもわからない」とのこと。

 本作のメッセージには、妙な説得力がある。流石仏教の聖地インド。他にもインドの教育システムであったり、学生の自殺にも切り込んでいて、見所は数え切れない。

 僕が一番心を動かされたのが、ランチョーの圧力で自殺するのは殺人だ、という考え。
僕は、生きているだけで100点で、それからの加点方式という考えで生きてきたが、現実はそう優しいものではない。そんな中、ランチョーだけが僕の心の友として、寄り添ってくれる。
映画がここまで人の心を動かすことが出来るのか、と映画の可能性を感じた。間違いなく生涯の10本に入るし、一生の友が現れた。

 インド映画には必須のダンスシーンも、絶妙なタイミングで踊りだし、歌も踊りも素晴らしい。
時系列が前後するタイプの映画なのだが、差し替え方が上手すぎる。脚本が練られていて本当に素晴らしい。

 人間、誰しも生きていると必ず壁に当たるだろう。そんな時は、「きっと、うまくいく」を視聴してみて欲しい。ランチョーと共に、All izz wellと唱えれば、今を生きることが出来るし、明日を生きることだって出来る。
自殺対策にもってこいの映画だと思う。本当に素晴らしい映画なので、是非落ち込んだ時には視聴してみて欲しい。今なら、Amazonプライムで無料で視聴できます。

心の靄

いつからだろう 心に靄が張り詰めたのは

目を閉じれば、雨音すら聞こえてくる

明けない夜はないが、晴れない靄はない

横になれば、僕を取り巻くピアノの音色

丑三つ時になると鳴り響く、僕のアラーム

僕を取り巻くその音色は、確かに共鳴している

取り憑かれた僕は、ただ嗜むばかりで

 
それは引き寄せられた磁石のよう
 
エクソシストでもない限り、切り離せないだろう
 
今も変わらず鳴り響くその音色は
 
僕が奏でているだけかもしれない
 
鳥のさえずりと共に、眠りにつく
 
鳩と迎える朝は、心地が良い
 
君の横顔が見れないのは、残念だけどね

俺がバイトをバックレて、制服を送り返した時の話

 漫画版「君たちはどう生きるか」の中で、

「そういう苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものはーーー自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。」
「自分の行動を振りかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。」

という一文があり、ふと俺がバイトをバックレた時のことを思い出した。

あれは夏が終わり、木々が紅葉し始めた頃だったーーー


 その日はシフトが入っていた。
まだ入ってから数か月の新人の僕は、店長に自分のシフトを任せていた。
なので、シフトが入る曜日がばらばらだったし、出勤する店舗もその日のシフトごとに異なっていた。

シフトが発表された次の出勤日には、いつもより早く家を出て、スケジュールを確認する必要があった。

そしてその日こそ、スケジュールを確認しなければいけない、面倒な日だった。


 バイト漬けの夏休みを満喫した僕は、店長にシフトを空けたい期間を伝えていた。遅れた休暇を取るために。

そして、その時はやって来る。

 スケジュールを確認すると、なんと空けた期間の分のシフトが前倒しされていた。しわ寄せされていたのだ。


 後々から考えれば、特におかしいことではなかった。
丸々休めると僕が考えていたのは、ただの勘違いだっただけかもしれないし、店長に自分のシフトを任せっきりにしていた僕にも落ち度はある。

それでも当時の僕はパニックになってしまい、少しの間封印してきた「バックレ」癖が、再び目を覚ました。


 その日は、応援勤務が入っていた。
時間にはまだ余裕があり、今から駅へ向かえばまだ間に合う時刻だ。しかし、自転車に乗った僕は、帰路についていた。

 家に帰った僕はまず、後悔をした。
遅刻が確定した訳でもないのに、出勤しなかったことを。
それでもシフトをしわ寄せされたショックは、僕の中でバックレる理由には、充分すぎるものだった。


 次に僕は、もうこのバイトを辞めてしまおうと考えた。
応援先に迷惑をかけ、連絡される店長にも迷惑をかけた後、平然とシフトに出られる勇気はなかった。

 謝ったとしても、その日以降のシフトには当然出勤しなければいけないし、そもそも当時の僕には「謝る」という選択肢がなかった。
何故なら、僕は店長に勝手に裏切られた気持ちになっていて、腸が煮えくり返っていたからだ。

 僕は部屋の隅に積まれたAmazonダンボールを一つ手に取り、制服に手紙を添えて、自分の店舗へ送り付けた。流石に、着払いにはしなかった。

 
 制服を送り付けたからといって、気分が晴れる訳でもない。ずっと自分の部屋に閉じこもり、携帯の電源も切っていると、母に呼び出された。
どうやら自宅に電話がかかって来たらしく、母が受話器を取ってしまったようだ。
 

 渋々店長からの電話を受け取った僕は、号泣した。
昔から、怒られたり叱られたりすると泣いてしまうタイプだった僕だが、その時は店長が話し出す前に泣いてしまった。

自分のしでかしてしまったことをはっきりとわからされた僕は、泣きながら謝罪をした。

 店長曰く勤務態度も真面目だったので、心配も兼ねて電話をしたとのことだった。
僕の送った「荷物」はもう届いていたらしい。

 店長は、シフトを自由に決めてしまっていた自分にも落ち度があるとして、僕がシフトを自分で決めるようにし、しわ寄せされたシフトは出勤しなくても構わないから、続けてみないか、と提案してきた。

僕は、ただただ頷くことしかできなかった。

 今思えば、あの店長は本当に優しくて、仕事が出来る人間だったな、と思う。
あの店長は、今年の四月に有能な社員を引き連れて、他のエリアへと飛び立ってしまった。


 僕が最近このバイトを辞めたのは、あの店長が居なくなってしまったからかもしれない。
新しい店長は、ピーク時は人に怒鳴り散らす癖に、シフトをギリギリまで削る人だった。

 それに比べてあの店長は、たとえ日曜のピーク時でも人に当たることは全くなかったし、忙しい曜日には、その分シフトを厚くしていた。

 あの店長には、まだ小さな子供がいた。
バックレた時の電話に、子供の泣き声が入っていた。

 僕は店長の優れた人格と能力は、子供が居ることによるものだと思い、真の「大人」になる為には、子育てを経験することが必須だと思い込んでいた。

新しい店長の口から、中学生の娘の話がされるその時までは。

消化不良

 小学三年生を殺害した犯人が、最近捕まったそうだ。事件から14年経過していて、容疑者は別の事件で服役中だそう。

 ニュースをなんとなく見ているだけでも、容疑者の無職率は高いと感じる。僕はこの無職が非行に走ってしまう原因が、「消化不良」にあると考えた。


 最近の僕は、まさに消化不良そのものである。
最近まで僕は飲食店のアルバイトをしていたのだが、そこそこ忙しい店舗だったこともあり、自然と陰キャの僕でも体力がついた。


 しかし、辞めてからはどうだろう。
そう、エネルギーがあり余って消化しきれないのである。
心に靄が張り付いているような、そんな感じだ。

 

運動がてらに自宅で出来る筋トレを始めてみたりもしたが、正直筋肉がついたところで、心に日が差すことはない。

ある意味、アルバイトがエネルギーを吐き出す場所になっていたことに、辞めてから気が付いた。
人間、失わないと気が付けないのは、本当に愚かだと思う。


 人間、誰しも少なからず向上心を持っている。
それは無職も例外ではない。

確かに、毎日充実した日々を送るニートや無職も存在するだろうが、一度くらいはこのままではいけないと、考えたことがあると思う。

 非行に走ってしまった彼らもそうだ。
起こしてしまった行為を擁護する気は全くないが、彼らのエネルギーの捌け口が見つからなかったことや、置かれた環境については、同情の余地があると思う。


 人生、どうにもならないことがいくつもある。
とある本によると、脳をつくるのはある程度まで遺伝によって決定されているらしい。

一般的知能の遺伝率は、記憶力の遺伝率のほぼ二倍、外向性や言語的推論能力といった特質は、一般的知能とほぼ同等の遺伝率となっているらしい。

環境の影響が全くない訳ではないが、少なくとも学習成績に関わる要素は、かなり遺伝的な影響があるらしい。


 そんなこんなで、僕もどうにかエネルギーをうまく放出できないものか、と考えていました。
やらかして、弟や祖父に迷惑は、かけたくないからね。

チャリ10分圏内で、時給1000円以上、土日手当100円以上のアルバイト求人、落ちてないかな~~~
僕の逃亡劇は、まだまだ続きます。おわり

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囚われたがりの僕ら

 バイトを辞めてから、早一ヶ月が過ぎる。
辞めたのは正しい決断だったが、かといって今の生活が以前より充実している訳でもない。
そんな、憂鬱な日々を送る僕の話を聴いてくれ。


 これは僕だけかもしれないが、案外人は「囚われたがり」なことに気が付いた。

以前テレビ番組で、東進の林先生が
「子供がゲームを辞めたところで、勉強時間が増える訳ではない」

と、言っていた。まさに今の僕そのものだ。
バイトを辞めたからといって、無を貪る癖は全く治る気配がないし、多分一生完治することはないだろう。


 「囚われる」と、気持ちが楽になる。 
子育てをある程度済ませた専業主婦が、パートを始めるのと同じで、仕事の最中は余計なことを考える必要が一切ない。
それは僕も、同じだった。

店長に怒鳴られるのも、自分で自分を責めるのに比べたら、幾分か楽だったかもしれない。

ただの小遣い稼ぎ程度としか認識していなかったが、僕の心の支えになっていたのは、確かだった。


 今まで自分は社会不適合者だ、と思い込んでいたが、実はそうでもないのかもしれない。

かといって、「囚われる」ことに居心地の良さを感じる訳でもない。

漂流した僕らの終着点は、果たして何処に・・・


 死がゴールだと思わなくもないが、明日からプリキュアとプリチャンが観られなくなると思うと、やっぱり悲しいです・・・