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泣き虫な僕

 僕は昔から泣き虫だったなぁ
今日バイト中にふと頭をよぎった。退屈な作業の最中には、そんなどうでも良いことでも暇つぶしになるものだ。

 小学生や中学生の時、先生に怒られると僕は泣いてしまうタイプだった。友人と教室で立たされる中、どれだけ涙腺を踏ん張ってもお漏らししてしまう僕。友人よりも怒られるのには慣れている筈なのに、彼らは指遊びに没頭していた。

 福本作品で一番好きな作品「最強伝説黒沢」の新版一巻では、幼児退行してしまった主人公の黒沢に病院の看護長が
「思考回路は幼児そのものね」と言うシーンがある。
自分の都合が悪くなると、気絶して現実逃避する黒沢。僕にとても似ていると思った。

 赤ん坊は、親にかまってもらう為に泣きじゃくるから、僕もかまって欲しくてたまらないから未だに泣き虫なのか?と考えたが、これはおおむね正解だった。僕の幼少期にヒントがあるようだ。

 僕が今覚えている限りの幼少期の記憶の多くは、両親が喧嘩している描写だ。いつもリビングのガラスのテーブルを挟んで言い合いをしていて、それを止めようと泣きじゃくる僕。僕にかまってくれれば、喧嘩は止むと考えての行動だったが、それで喧嘩が止んだことは一度たりともなかった。
 
 小学三年生の頃だろうか。その日は初めて殴り合いの喧嘩を目にした。少なくとも、僕が記憶している範疇では。
父が会社のTOEICテスト対策で、わざわざ僕のDSで英語ソフトをやりたいそう。当然父とろくに会話ができない、したことがない僕は頷くことしかできなかった。
そのDSは母方の祖父が購入してくれたものなので、母はそれに激怒。父はいつも邪魔をするし、子供のような嫌がらせを繰り返すことは、家では常識だ。

「あいつは良いって言ったけど」
「だからって子供から取り上げるのはおかしいでしょう?あなたは大人なんだから」
「邪魔なんだから出て行けよ」
「返して!DS返しなさいよ!」

僕は階段の下で、
「もう良いから!貸すから!もう止めて!もう良いから・・・」
と叫ぶが、どうやら聞こえていないようだった。その後母は泣きながら警察行くだの出て行くだの言っていて、父はああどうぞ勝手にしろ、出ていくなら出てけ、とお互い一歩も引かなかった。この時も、僕はいくら泣いてもかまってもらえなかった。
今思えば、僕の流した涙はナナリーと同じモノだったのではないか?違う?

 一度、父と母に
「アンタらなんか大っ嫌いだ」
と嘆いたことがあった。すると彼らは
「こんなに優しい親いないよ?」
と口を揃え、父と母が争っていたはずなのに、僕が標的になってしまった。 

結局、母も父に傷つけられることで自分を保っていたのではないか?そうではないにしても、そう考えることもできてしまうからDVのスパイラルはヤバイと感じる。そら、なかなか抜け出せない訳ですわ。僕が将来結婚をするならば、顔や金ではなく、人格の相性で決めようと誓ったあの日が懐かしい。

 僕はただ、喧嘩を止めて欲しかっただけだったんだ。そんな泣き虫のルーツを知った僕は、バイト中にも関わらずまた泣いてしまいそうになったが、流石にもう我慢できる。普段は全く意識しないけれど、記憶の底にしっかりと沈んでいることが悲しい。

 僕を注意する上司をその場で店長が叱り、気まずくなって退散した僕を上司が苦笑いを浮かべながら叱り、ああ、もうみんな死ねばいいのにと思った今日でした。もうこんなバイト辞めてしまいたい。

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