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HUGっと!プリキュアの人間ドラマが素晴らしい理由

 最近女児向けのアニメ鑑賞に没頭している私だが、HUGっとプリキュアは近年稀に見る素晴らしいアニメだと思う。

 プリキュア自体ちゃんと見始めたのが前作のアラモードからなのだが、今作では繰り広げられる人間ドラマが実にリアリティがあり面白い。


 ここ数話でキュアエールこと主人公の「ほまれ」が、同じく二人のプリキュアに対して劣等感を抱き、ついにプリキュアに変身することができなくなってしまう。


 ほまれのようなポジティブキャラ(島村卯月等)は、大抵「笑顔なんて誰でもできる」と病んでしまう。
なぜなら、笑顔は「評価」することができないのだ。
笑顔には基準値がなく、大きいも小さいもない。

それが、同じプリキュアのキュアアンジュ、エトワールならどうだろう。
アンジュは幼い頃から子役として活躍、エトワールはフィギュアスケートの天才少女


 そう、それらは人から「評価」されているのである。
目に見える評価を受けるのに対して、ほまれらに評価を下すことはできない。そして劣等感を抱き、病んでしまう。

 作中ではほまれを励ますシーンがあるのだが、ほまれは一度落ち込んでしまう。周りがどう思おうが、本人からすれば目に見える「評価」に対して病んでしまっているから当然のことだ。


 これは現代社会においても当てはまる。
私自身もその内の一人だが、「中途半端」の殻から抜け出すことが出来ず、いくら人に優しくしたとしても、それは評価されることは滅多にない。

何故なら、評価することが難しいからだ。


 なら、ほまれや私のようなポジティブでマジメで良い奴が病んでいる時、どう自己肯定感を高めればいいのか。

それは、「無条件のリスペクト」をすることで解決する。

日本語でいう「尊重」「敬意」というところ。
~ができるから凄い、かわいい、等の「条件付きのリスペクト」は「評価」が基本となっている。

それに対し「無条件のリスペクト」では、「評価」を基本としない。
何故なら、どんな理由があれ、その人がこの世に生まれてきて、その人なりに生きてきた、という事実そのものを尊重するものだから。


 人はみな自分ではどうすることもできない「条件」に縛られているのだから、「評価」を基準にする必要はないのだ。

そうすることで、他人にもその人なりの苦労があり、必死に生きていると分かると同時に、自分もその内の一人であると実感することができる。

「私もよく頑張ってんじゃん」と、ここまで生き延びてきた自分を愛おしむことができるようになる。


 自分の周りに落ち込んでいるほまれがいる場合は、無理に励まそうとはせずに、まずは相手のプロセスを尊重しよう。

何故なら、何かを失った時、悲しんでいることには意味があり、その悲しみに浸ることが、心の態勢を立て直していくからだ。


よかれと思っては単なる決めつけでしかなく、そんな時は主語を私にして、「~だけど、~だと私は思うよ」
と、あくまで自分の意見として話すとよい。

相手が何かを話してくれるのであれば、思い込みや決めつけを手放して、ただその話を聴いてあげるとよい。
ただ傍で見守ってくれるだけで、充分心強いのだ。


 話が逸れてしまったが、プリキュアの人間ドラマは素晴らしい。

ごくありふれた普通の日常ドラマを描いているだけなのかもしれないが、だからこそ身近に感じることができる。
灯台元暗しとは言ったもので、今だからこそ目を向けるべき問題が、すぐ傍にあるのかもしれない・・・。

暇なら是非視聴することを薦めます。私は、キュアアンジュ推しです。



参考文献:自己肯定感持っていますか?あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法
著者:水島 広子(精神科医)
私みたいなメンヘラにおすすめの一冊。ただの自己啓発本ではいのが素晴らしい。